「昭和Nostalgia」(571)

https://youtu.be/3CeTEMdXC7I

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まだ幼稚園の頃だったか、こんなミカンの入っていた木箱があったものでした。

ミカンを美味しくいただいた後は、ミカンの木箱がぼくのオモチャ箱として、茶の間の片隅に置いてあったものです。

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同様に、こんなリンゴの木箱もあって、やはり空となった木箱を、お母ちゃんは内職の裁縫道具入れなんぞに、再利用していた事を覚えています。

しかしやがて木箱は徐々に姿を消して行き、頑丈な段ボール箱に変わって行ったものです。

思い返せば、今の薄っぺらな段ボール箱とは異なり、分厚く頑丈な出来栄えで、なかなか容易に折りたたむことも出来なかった様に思います。

そんな段ボール箱もやっぱり、何かを入れたり仕舞って置くための箱として、何かしら再利用していたものです。

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そう言えば、緩衝材として利用されるプチプチのエアークッションのようなモノが誕生する前は、もっぱらもみ殻が木箱に詰められ、そこにリンゴなんかを大切に入れてあったものですし、卵ももみ殻で割れない様に工夫されていたことも思い出しました。

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役目を終えたもみ殻は、きっと七輪の練炭に火を付ける時の、焚き付けとしてでも使っていたのかも知れません。

いやはや、今よりももっともっと、限りある資源を大切にしていたんでしょうねぇ。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

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