「昭和Nostalgia」(568)

https://youtu.be/3CeTEMdXC7I

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今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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昭和もいよいよもって、掉尾を飾ろうとしていた、昭和63(1989・平成元)年。

こんな「いつでもどこでもカラオケ!『まめから』」なるものが、エプソンからお花見シーズン直前に発売されました。

マイクとスピーカー一体型のハンディタイプのカラオケ、「まめから(MK-100)」です。

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ぼくも微かに記憶があります。

ところがその年の1月7日に、昭和天皇が崩御され、巷では大袈裟なようですが、歌舞音曲の一切が「自粛」されるようなムードが蔓延し、忽ち全国各地へと飛び火し、日本国中が一斉に喪に服したような、項垂れた日々が訪れたものでした。

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ですからその年の花見は、鳴り物入りで「まめから」が世に登場したとはいえ、自粛ムードが蔓延する只中にあり、呑めや歌えの大騒ぎとはならなかったと記憶しています。

それから平成へと時代は移り変わったものの、バブルが崩壊するまでは、ネクタイで鉢巻きし、まめからで大騒ぎしている花見の酔客も、見かけられたものでした。

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またこんなデュエット用のまめからもあったようですねぇ。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(568)」への2件のフィードバック

  1. 忌野清志郎がこの状況に抗議して歌っていたのを覚えています。平成天皇はそういうことがないように生前退位されたのでしょうね。

    1. そう言えばもう7~8年前だったでしょうか?
      節分が終わってから、伊勢の内宮様にお詣りに伺った際、白布が敷き詰められた宇治橋を、サーヤ様をお載せになったセンチュリーと出くわしたことがありました。
      ぼくはただただ深く、頭を垂れていたものです。
      サーヤ様はにこやかな笑顔を振りまき、片手を振って通り過ぎて行かれたものです。

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