「昭和Nostalgia」(561)

https://youtu.be/3CeTEMdXC7I

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今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

東京新宿の「しょんべん横丁」をご存知でしょうか?

ぼくは東京のプロダクションに居候していた22歳頃だったでしょうか、一度だけこの「しょんべん横丁」で苦い酒を飲んだことがありました。

当時のプロダクションからぼくは「磯 狼(イソ ロウ)」なる芸名を拝領し、オーディションに通わせてもらったりしていたものです。

既に勘所の良い方はお気付きかも知れませんが、芸名「磯 狼」なる由来は、プロダクションの「居候」だったと言う、なんとも安直なモノでありました。

そしてとあるオーディションの最終選考会へと進んだまでは良いものの、プロダクションの期待とは裏腹に残念ながら落選。

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その後、プロダクションの専務様が、落胆するぼくを労って下さったのが、この「しょんべん横丁」のどこかにあった焼鳥屋さんだったと記憶しています。

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ところが自分の不甲斐なさばかりが募り、何を食べながら何を呑ませていただいたのやら、さっぱり記憶にありません。

この昔の俗称「しょんべん横丁」は、新宿西口にある商店街で、現在は「思い出横丁」と呼ばれているようです。

参考

焦土と化した新宿西口界隈に、昭和21(1946)年頃から焼け野原の跡に闇市が立ち、後に酔っぱらったサラリーマンが、路上で立ち小便をしたことから、「しょんべん横丁」と呼ばれた由来とか。

果たしてぼくがお邪魔した時は、しょんべん臭かったのか?そんな記憶すら残っていないようです。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(561)」への4件のフィードバック

  1. 岐阜では全国的に知られる。
    柳ケ瀬ブルース♫で有名な
    大人の社交場「西柳ケ瀬」
    昭和30年代40年代は
    毎夜 毎夜 夜の蝶が飛び交う盛り場
    岐阜の問屋街が栄えている頃の話になるんでしょうか?
    今となっては見る影もなし
    蛾も飛びゃぁしない・・
    「すたれる」って言うのは
    淋しいもんです。
    えっ?私のすたれている所
    あったはずの髪の毛がすたれて行った~~ぁ (涙)

    1. 先日、Liveの二次会で玉宮へまいりましたが、さすがにもう若くもありませんから、ワイワイガヤガヤの喧騒の中では、ゆっくり酒を愉しむってぇ感じじゃなかったですねぇ。

  2. この後、東海ラジオで「星空ワイド 今夜もシャララ」になるのでしょうか?それともまだ紆余曲折?

    1. ちょうどその頃、毎週東京-名古屋を往復し、C〇Cラジオの〇谷ミミさんの「今夜もシャララ」に出させていただいておりました。
      「電話deテート」とかってぇコーナーなんて、懐かしいなぁ!

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