「昭和Nostalgia」(559)

https://youtu.be/3CeTEMdXC7I

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今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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子どもの頃、学校から帰って玄関を開け、耳をそばだてて聞こえてくる音で、一喜一憂したものです。

その時点で既にお母ちゃんが内職の手を休め、台所に立ち何やら夕餉の下準備を始めていようものなら、今日はどんな手の込んだご馳走やらと、期待に大きく胸を膨らませたりしました。

「ただいま~っ!」と言いながら台所のお母ちゃんを盗み見ると、擂鉢を片手で押さえ擂粉木で何かを潰していると、いよいよ大好物のお母ちゃんのコロッケに相違ないと、確信したものです。

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台所中に蒸したジャガイモの香りが漂い、夕飯が待ちどうしくってなりませんでした。

でもこれがドッコイ!

確かにお母ちゃんのコロッケは、頬っぺたが落っこちるほど美味しかったのですが!

でもそれは、せめてせいぜい2~3個ならばの話し!

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ところが夕餉の卓袱台の中央には、大皿に山のように盛られたコロッケが!

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さすがに子どもの頃から、揚げ物好きだったぼくでも、コロッケの二百三高地を仰ぎ見た瞬間に、たちまち戦意喪失したものでした。

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しかし今にして思うと、当時のわが家には、マッシャーなどと言う、ハイカラな調理器具など無く、お母ちゃんは擂鉢擂粉木を代用品として使っていたのだと、改めてお母ちゃんの苦労が偲ばれてなりません。

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しかもあの、ラードで揚げた、挽き肉何て数えるほどの粒しか入ってなかったお母ちゃんのコロッケでしたが、あのズングリムックリとした俵型のコロッケが妙に懐かしく、あの美味しさをあてに、キリングッドエールをプッハァ~ッと傾けたいものです。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

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