「昭和Nostalgia」(552)

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飛騨びと言の葉綴り~神岡町・山口正一さん – 飛騨市公式ウェブサイト


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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ジャガイモもニンジンも一口ではとても頬張れないほど大きく、ブツ切り状態でゴロゴロ。

豚肉のこま切れが申し訳程度に入っている、それが昭和半ばのわが家の卓袱台を彩った、お母ちゃんの洋食ベスト3の内の一つ、黄色いカレーライスでした。

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お母ちゃんが家族3人分のカレーライスを卓袱台に配膳し、お父ちゃんの着替えを待っていただきますとなるのが、わが家の暗黙のルールでした。

お父ちゃんの着替えが手間取っていると、カレーライスのカレーの上っ面が、まるでオブラートでも被せたかのように、薄い膜が張ってしまったものです。

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ぼくはそれがどこの家でも同様なんだろうと思っておりましたが、ご近所でもお金持ちと評判の友の家でいただいたカレーライスは、大きくって柔らかな牛肉がゴロゴロ!

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そいでもって友のオバチャンが、わが家のお母ちゃんの割烹着の前掛けとは似て非なる、可愛らしい花柄のエプロンなんぞをお召しになって登場。

そいでもって、これまたわが家の丸い卓袱台とは月とスッポンの重厚なダイニングテーブルの上に、チキンライスの型で抜いたライスを盛りつけた皿と、アラジンの魔法のランプのような、カレーの入った「グレービーボート」なるものを、友とぼくの前に配膳し、「さぁ召し上がれ!ビーフカレーよ」と。

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わが家の豚の細切れ肉とは大違い!

そりゃあもう、これが本当の洋食なんだぁと、感じたものでした。

それから10年ほど後の事。

向田邦子さんのエッセイを読んでいた時、向田さんのカレーライスの回想譚に辿り着いたのです。

何でもその日の夕餉はカレーライスで、卓袱台の上に4人分のカレーライスが配膳され、家族4人が揃って「いただきます」と唱えてから、食事を始めると言うのが向田家の暗黙の了解事項であったそうです。

ところがその日、向田さんのお父様は、どうにもご機嫌が麗しくなく、何かの事でお母様を叱りつけていたんだとか。

向田さんは早くお父様が機嫌を直し、カレーライスを頬張りたいと、一心に祈っていたとか。

そう祈る間、カレーライスの表面を眺めていると、薄っすらとオブラートのような膜が張ったとか!

「それってわが家のカレーライスと一緒ジャン」と思うと、なんだかとてもお母ちゃんのカレーライスが愛おしく思えてならなかった事を覚えています。

どうやらオブラートの正体は、カレーを少しでも増量しようと、メリケン粉を溶かして入れていたからとか。

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もう今となっては叶いっこありませんが、もう一度あの大きく切ったジャガイモやニンジンがゴロゴロとしていて、豚の細切れが申し訳程度に添えられた、お母ちゃんの黄色いカレーが恋しくなってしまいました。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

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