「昭和Nostalgia」(545)

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飛騨びと言の葉綴り~神岡町・山口正一さん – 飛騨市公式ウェブサイト


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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ぼくは中学生になった年から、弁当持参での登校となりました。

それと同時に、それまでの内職仕事からお母ちゃんも、近くの工場へとパート勤めが始まったものです。

ぼくが小学生の頃は、鍵っ子にしちゃあならぬと、頑として外勤めには出ず、内職に励んでいたお母ちゃんでしたが、ぼくが中学へと上がって環境が一変したように、お母ちゃんの環境も一変し、工場まで自転車に乗って颯爽と出掛けて行ったものでした。

お母ちゃんは毎朝早くから、ぼくの弁当を作ってくれたものです。

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特に1週間のオカズの中でも群を抜いて多く登場したのが、このご存知「マルシンハンバーグ」でした。

弁当を持参するようになって最初の頃、本当にマルシンハンバーグが「美味しい!」と、その都度口にしたせいか、「まぁええっ!」ちゅうくらい頻繁に、二日に一度くらいで登場し、「なんだ、またかぁ・・・」となってしまったものです。

とは言え、そんな事口が裂けてもお母ちゃんに言い出せず、我慢した覚えがあります。

周りの生徒の弁当のオカズを盗み見て、マルシンハンバーグが入っておらず、煮物なんかばかりの男子生徒の弁当を目にすると、ハンバーグと煮物を物々交換したり!

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でもある時、いつものマルシンハンバーグとは異なる、トマトケチャップのようなソースが絡んだ、「イシイのチキンハンバーグ」なるものが登場したのです!

一日おきに登場したマルシンハンバーグとは異なり、「イシイのチキンハンバーグ」はそれはそれは真新しく映り、これまた禁句である「美味しかったぁ!」と、ついついお母ちゃんに告げてしまったのです。

そしたら今度は、一日おきに「イシイのチキンハンバーグ」の連投と成り果ててしまって、我ながら自分の迂闊さと学習能力の無さをホトホト呪ったほどでした。

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何事も、口は災いの元って言いますものねぇ!

そう言えば、物心ついた頃からお父ちゃんは、お母ちゃんに先立たれるまで、一度たりとお母ちゃんの手料理を「不味い!」なんて口にしたことがありませんでした。

どんなものであれ、お母ちゃんが拵えた料理は、「美味しい美味しい!」とそればかり口にする父でありました。

そんなお父ちゃんのDNAとやらを、ぼくも紛れも無く引き摺っていたってことなんでしょうかねぇ?


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

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