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飛騨びと言の葉綴り~神岡町・山口正一さん – 飛騨市公式ウェブサイト
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小学生も半ばの頃、近所に暮らしていたM君家に、当時の草野球少年にしたら、まさに垂涎の的としか言いようもないほどの、ピッチングマシーンとやらがお目見えしたと、瞬く間に噂が飛び交ったものでした。
そして腕白坊主共は、M君家の前にたむろし、一目だけでもそのピッチングマシーンとやらを拝したいと願ったものでした。
そう言えばそのM君家は、近所でも評判のお金持ちのようで、玄関先には新車のトヨペット・コロナがピッカピカで、燦然と輝きを放ちながら置いてありました。

M君家は、一つか二つ年上のお姉ちゃんと、いつも背広姿でビシーッとしたお父さんの三人暮らし。
M君もお姉ちゃんも思い返せば、そこらの腕白共やお転婆娘とは異なり、身なりも良かった記憶があります。
でもそんな当時は、腕白共もお転婆娘たちも、まだまだファッションになど全く持って関心も無く、M君やM君のお姉ちゃんが、どこよりも真っ先に買ってもらう、新しいオモチャの方に興味津々だったように思います。

ぼくもやっとのことで、M君家の座敷に上がり込み、ピッチングマシーンから繰り出されるプラスチック製のボールを、やはりプラスチック製の擂粉木を少し長くしたようなバットで、バッティングをさせていただきはしましたが・・・。
やっぱりブニョブニョの生ゴム製の軟球を、木製バットで打ち返す時の、あのリアルな感触とは一味も二味も違って感じられ、ちょっぴりガッカリしたものです。
当時、昭和43(1968)年に任天堂から発売されたと言う「ウルトラマシン」は、1.480円だったと記録されていますから、今の価値にしておいくらくらいのモノだったでしょうかねぇ?
少なくともぼくの周りでは、M君家で見掛けたキリでした。
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