「昭和Nostalgia」(539)

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飛騨びと言の葉綴り~神岡町・山口正一さん – 飛騨市公式ウェブサイト


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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こんな大人びた、コーヒー味のキャンディー、その名も「ライオネスコーヒーキャンディー」ってご存知ですかぁ?

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ぼくは子どもの頃と言うより、中学生になった頃だったか、そんな頃に初めて口にしたような気がします。

ところが、それが何処だったのか、誰と一緒に食べたのかが、これまた不鮮明過ぎて思い出せそうにありません。

ただし、インスタントコーヒーしか飲んだことなど無かったそんな時代に、ちょっと背伸びでもしたかのように、大人びた珈琲の仄かな香りと味をこっそり愉しんだ気がします。

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それから後も、好んで買い求めるほどではなかったものの、いつまで経っても初めて口にしたあの日の感覚が未だに忘れられずにいました。

何でも販売開始は1964(昭和39)年、東京五輪の年だったとか。

当時の日本じゃあまだ、コーヒーは高価なもので、一部の人の嗜好品にとどまっていたようです。

そんな頃は当然ながら、コーヒーを使ったキャンディの前例などなく、商品開発は難航したんだとか。

キャンディに適した豆を厳選し、職人が手作業で焙煎し、技術者が長年の勘でキャンディに加工したそうです。

しかし東京五輪後の不況で、問屋は高価なライオネスキャンディーの取扱いに難色を示したそうです。

ならばと、社員総出で団地などで商品サンプルを配布。

徐々に評判も高まり、本格的な販売へと繋がって行ったようです。

今では、エスプレッソ味とカフェラテ味もあるようで、ぼくもどこかで見かけたら、昔を思い出して味わってみようかな、なぁ~んて思っています。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

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