臨時のお知らせです!「KIRIN BEER PRESENT’S オカダミノル ほろ酔い Live 2025~秋涼の候 in C♭」 キャンセルの空き枠も、お陰様で完売となりました!!!(※Liveの詳細は、8/21のブログをご参照願います。

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飛騨びと言の葉綴り~神岡町・山口正一さん – 飛騨市公式ウェブサイト
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おまけの付いたキャラメルは、遠足用のお菓子にゃあ欠かせぬほど、それはそれは愉しみでならなかったお菓子の定番でした。

食玩と言う名のおまけのオモチャ欲しさで、ついついキャラメルを買ってしまう子たちも多かったものでした。

そんな中で、森永のキャラメルには、食玩は付いていなかったものの、ぼく的にはキャラメルの味が際立っていたように思えます。

グリコが「一粒300m」なら、森永は「世界を3まわり半」と、広告のコピーでもしのぎを削っていたようですねぇ。

いつかはこんな高級そうな、「フランスキャラメル」とやらを食べてみたいと思ったものでしたが、その夢かなわず、とうとう今さらキャラメル?ってな歳に成り果ててしまったものです。
昭和半ばの子どもたちを、魅了してならなかったキャラメルですが、国産キャラメルが誕生したのは明治の時代だとか。
その後、第二次世界大戦時に製造が中断。

そして昭和28(1953)年に砂糖の統制が解除され、菓子メーカーが一斉にキャラメルを発売したようです。
メーカーの宣伝競争も激しくなるばかりで、ヘリコプターを使った広告宣伝も盛んに行われたようです。
なんだかぼくも空を仰ぎ見たような記憶が・・・。
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