「昭和Nostalgia」(528)

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飛騨びと言の葉綴り~神岡町・山口正一さん – 飛騨市公式ウェブサイト


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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おまけの付いたキャラメルは、遠足用のお菓子にゃあ欠かせぬほど、それはそれは愉しみでならなかったお菓子の定番でした。

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食玩と言う名のおまけのオモチャ欲しさで、ついついキャラメルを買ってしまう子たちも多かったものでした。

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そんな中で、森永のキャラメルには、食玩は付いていなかったものの、ぼく的にはキャラメルの味が際立っていたように思えます。

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グリコが「一粒300m」なら、森永は「世界を3まわり半」と、広告のコピーでもしのぎを削っていたようですねぇ。

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いつかはこんな高級そうな、「フランスキャラメル」とやらを食べてみたいと思ったものでしたが、その夢かなわず、とうとう今さらキャラメル?ってな歳に成り果ててしまったものです。

昭和半ばの子どもたちを、魅了してならなかったキャラメルですが、国産キャラメルが誕生したのは明治の時代だとか。

その後、第二次世界大戦時に製造が中断。

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そして昭和28(1953)年に砂糖の統制が解除され、菓子メーカーが一斉にキャラメルを発売したようです。

メーカーの宣伝競争も激しくなるばかりで、ヘリコプターを使った広告宣伝も盛んに行われたようです。

なんだかぼくも空を仰ぎ見たような記憶が・・・。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

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