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飛騨びと言の葉綴り~神岡町・山口正一さん – 飛騨市公式ウェブサイト
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小学校の低学年の頃の事。
わが家の玄関先で、どこからか風に飛ばされて来たのか、洗濯物のような女子用の白いブラジャーが、落っこちていたのです。

わが家は両親とぼくの3人家族でしたから、ましてや母は年がら年中下着はシミーズで、ブラジャーなんてぇ代物をしたことも無い人でしたから、ぼくにとっちゃあ女子用の白いブラジャーが、一体何者なのか、知る由も無かったのです。
「お母ちゃん、玄関にこんなもんが落ちてたー」と、家に駆け込んでお母ちゃんに見せると、「なんやー、乳バンドやないか!きっとお向かいの、サッチャン家のお姉ちゃんのが、風で飛ばされて来たんや」と、そう言うと白いブラジャーを掴んで、お母ちゃんはお向かいのサッチャン家へ。

ですからその時点でぼくは、ブラジャーなる言葉自体を知らず、お母ちゃんが言った「乳バンド」と言うその言葉だけが、ぼくの心の中に記憶されてしまったようです。
しかし小学校の高学年になって、保健体育の時間だったかに、女子のブラジャーの事をさも知ったかぶりで「乳バンドやぁ!」と囃し立てちゃったものだから、まわりのクラスメイトから「なんやー、その乳バンドってぇのは?」なんて、散々いじられたものでした。

しかしまぁ、「乳バンド」という名は、あまりにも色っぽさに欠ける、実用的な商品名であったものです。
ぼくのお母ちゃんは、結局終生乳バンドならぬブラジャーを、身に着けることはありませんでした。
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