「昭和Nostalgia」(524)

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飛騨びと言の葉綴り~神岡町・山口正一さん – 飛騨市公式ウェブサイト


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

参考

小学校の低学年の頃の事。

わが家の玄関先で、どこからか風に飛ばされて来たのか、洗濯物のような女子用の白いブラジャーが、落っこちていたのです。

写真は参考

わが家は両親とぼくの3人家族でしたから、ましてや母は年がら年中下着はシミーズで、ブラジャーなんてぇ代物をしたことも無い人でしたから、ぼくにとっちゃあ女子用の白いブラジャーが、一体何者なのか、知る由も無かったのです。

「お母ちゃん、玄関にこんなもんが落ちてたー」と、家に駆け込んでお母ちゃんに見せると、「なんやー、乳バンドやないか!きっとお向かいの、サッチャン家のお姉ちゃんのが、風で飛ばされて来たんや」と、そう言うと白いブラジャーを掴んで、お母ちゃんはお向かいのサッチャン家へ。

写真は参考

ですからその時点でぼくは、ブラジャーなる言葉自体を知らず、お母ちゃんが言った「乳バンド」と言うその言葉だけが、ぼくの心の中に記憶されてしまったようです。

しかし小学校の高学年になって、保健体育の時間だったかに、女子のブラジャーの事をさも知ったかぶりで「乳バンドやぁ!」と囃し立てちゃったものだから、まわりのクラスメイトから「なんやー、その乳バンドってぇのは?」なんて、散々いじられたものでした。

参考

しかしまぁ、「乳バンド」という名は、あまりにも色っぽさに欠ける、実用的な商品名であったものです。

ぼくのお母ちゃんは、結局終生乳バンドならぬブラジャーを、身に着けることはありませんでした。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

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