「昭和Nostalgia」(508)

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飛騨びと言の葉綴り~神岡町・山口正一さん – 飛騨市公式ウェブサイト


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

いよいよ、泣いても笑っても、楽しかった子どもたちの夏休みも、ついに最終日ってとこですねぇ。

ぼくも小学生の頃、夏休みの最終日は、気分がどんよりとして、腑抜けたようになっていたものです。

その理由の一つは、とうとうお父ちゃんやお母ちゃんにも見放された、手付かずのままの夏休みの宿題。

まぁこれは、遊び呆けていた己の自業自得ですから、潔く二学期の初めに、こっぴどく先生に叱られればそれでご破算!

もう一つの理由はと言えば、新学期が始まる前に、床屋へ行かされたこと。

わが家がそうであったように、近所の子どもたちの家の多くも同様であったのか、床屋の前は子どもたちで鈴なり状態。

床屋の中に入り切れず、炎天下の店の外で何時間も待たされたもの。

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やがてぼくの順番が回って来ると、大人用の理容椅子の上に、子ども用の補助椅子があてがわれ、そこにちょこんと腰掛けると、手動式のバリカンで後頭部をジャキジャキッ!

有無を言わさぬヘアスタイル、程よい刈り上げの「坊ちゃん刈り」の一丁上がり!

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何時間も待たされた割りにゃあ、カットの時間なんてほんの10分足らず。

その二つが、夏休みの終わりの、ぼくにとって最大級の憂鬱の原因でもありました。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(508)」への6件のフィードバック

  1. ボクが初めて床屋に行ったのは大学に入学して京都に行った時。それまでは母に散髪をしてもらっていました。近くに床屋が無かったからかなぁ? 田舎! 母は今も何とか生きていますがさすがに今は多治見駅前商店街の床屋に行ってますでも、店主が高齢で跡継ぎナシ。そろそろ次を考えなければ、、。

    1. お母様が散髪をなさったとは、この上なきマザコンのぼくとしては、何とも早羨ましい限りです。
      もしぼくもお母ちゃんに散髪してもらえてたとしたら、床屋さんの専用のハサミなんかじゃなく、洋裁の時に使っていた大きな裁ち鋏だったリして!
      あ~怖っ!

  2. 子供の頃に坊主頭にしたことがなかったけど
    今となってはこのありさま・・・
    昔はあんなに髪の毛があったのに ❢
    夏が終わり秋風と共に髪も消えていった~~ぁ⤴

    1. やはり忍び寄る老化は、誰にも止められないものなんですよねぇ。
      辛いけどそれが現実。
      老いを認めて、向かい合わせで、残り時間を愉しまなくっちゃ!

  3. 幼稚園時代までは お母さんに切ってもらい 小学校低学年の頃は お父さんが通ってた床屋さんで… 高学年になると 今度はお母さんが通ってた美容院… という具合に散髪する場所や髪型にも遍歴がありました。それぞれの場所に初めて足を踏み入れた時の緊張感 そして 仕上がって外に出た時のなんとも言えない気持ち良さ よく覚えてます。
    ちょうど昨日 美容院に行ったばかり( ◠‿◠ ) カットをお願いしてる彼女とは もう38年の付き合い。
    全てをわかっててくれるので 頼りになる大切な友人ですね。感謝♡

    1. 38年もの間、同じ美容師さんとのお付き合いが続いているなんて、ホッコリしちゃいましたぁ!

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