「昭和Nostalgia」(498)

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飛騨びと言の葉綴り~神岡町・山口正一さん – 飛騨市公式ウェブサイト


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

昭和半ば生まれのぼくにとって、夏休みは海水浴やプール、そして昆虫採集に盆踊りと、愉しみがいっぱいだったものでした。

中でもお父ちゃんやお母ちゃんに連れられ、映画館で「ゴジラ」なんぞの話題作を見せて貰うと、もう天にも昇るほど嬉しくってなりませんでした。

参考

ある日曜の朝、お父ちゃんが「今日、映画へでも連れてったろか?」と、思わせぶりに言うじゃないですか!

そりゃあもう、こんなチャンスを逃してなるものかと、二つ返事で「行く行く~っ」と。

ところがどっこい!

参考

お目当ての「ゴジラ」なんかじゃなく、確か「連合艦隊司令長官 山本五十六(昭和43年封切)」だったような?

ぼくは幕間に「お煎にキャラメル~っ、アイスクリーム」とやって来る、売り子のお姉さんに首っ丈!

ぼくが物欲しそうな顔をしていると、「あれは高いで、帰りにバス停の菓子屋でこうたるで、我慢しぃ」とお父ちゃん。

映画の幕間に客席で食べるからこそ、普段と同じキャラメルやアイスクリームだって、もっともっと美味しいのに~っ」と、ぼくは残念で残念でならなかったものです。

いつの間に、映画館の煎餅売りは姿を消したのやら?

それはそうと、陸軍の歩兵部隊として出兵していた父は、なぜに海軍の映画を見る気になったのやら?

生涯そのわけを、お父ちゃんに聞かず仕舞いでした。

もしかしたら、陸軍の映画を見ると、思い出したくもない、心の奥底に封印した、悲惨な戦地での戦友たちの断末魔の姿を想い出してしまうからか?

そんな心の傷のトラウマが、あったのやもしれませんねぇ。

生涯一度も、戦地での事を何一つ話すことなくこの世を去った父。

もう二度と、父と同じような思いを抱かなくて済む、そんな世が一日も永く続いてくれることを、ただただ祈るしかぼくには術がありません。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

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