「昭和Nostalgia」(495)

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写真は参考

昭和も半ばの真っただ中、小学校の3年生になる頃だったか、お父ちゃんが庭に掘っ立て小屋を建て、風呂場を造ってくれました。

それもご近所の、父ちゃんの釣り仲間3人の日曜大工で、何か月かかけて完成したように記憶しています。

その時の風呂桶が、ちょうどこんな感じの木製のもので、箍で締められておりました。

再び酷暑が舞い戻り、あまりの暑さ凌ぎにと、バスタブに水を張って浸かってみたものの、子どもの頃の水風呂となんとなく違っている様で、さして冷たさも感じられませんでした。

そして気付いたのが、FRPのバスタブと、木製の風呂桶の材質の違い!

なぜかしら、木製の風呂桶は水が殊の外冷たく感じられたような気がします。

写真は参考

それと木製の座椅子に木製の手桶、そして湯上り用の木製簀の子。

ぼくは子どもの頃、簀の子をザラ板と呼んでいたような?

何でも「ザラ板」は愛知の辺りで、三重県の一部では「さな板」と呼ぶそうです。

写真は参考

あなたは、「簀の子」をなんと呼んでおられましたか?

まぁ、そんなこたぁ、どーだっていいんですが?

いずれにせよ、いい年をからげて、FRPのバスタブで水浴びをして、返す返す木製品のヒンヤリ感や肌触りの良さを痛感した、今年の夏でした。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(495)」への2件のフィードバック

  1. 簀子と呼んでいました。それから、子どもの頃はウチも丸い木桶の風呂桶で、薪を焚いて板を沈めて入っていました。(底が無くて下が鉄板のため)ちなみに長野の連れ合いの実家も、結婚した当時はまだ木桶で薪を焚く風呂でしたね。

    1. 三重の従妹の家の五右衛門風呂に幼い頃入ったものです。
      薪で焚くお風呂の温もりを今でも覚えている気がします。
      やっぱりガス給湯器のぬくもりとは、一味も二味も違って感じちゃうのはなんでなんでしょうねぇ。

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