「昭和Nostalgia」(493)

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参考

ぼくらが子ども時代を過ごした、昭和の半ばは、何かにつけて大らかで緩~い時代でした。

腕相撲大会やら、水泳大会に花火大会、何かにつけ〇〇大会と名付けられた催しが、地域の子供会やデパートの屋上イベントとかで、賑やかに開催されたものでした。

中でも極めつけは、「クロンボ大会」。

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夏休みの終盤に、腕白坊主やお転婆娘たちが、日焼けの黒さを競い合った大会でした。

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今の時代じゃあ、その催しのタイトルだけでも、各方面からお叱りを頂戴することになるかも知れませんが、そんなことにゃあまったくお構いなしだった昭和の半ばは、優勝賞品目当てで大盛り上がりだったものです。

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当時は、真っ黒に日焼けしているほど、「健康的」と見られたそんな時代でもありました。

全国各地の小学校でも、夏休み明けの9月に入ると、「クロンボ大会」なるものが学校行事として行われていたようです。

ぼくも小学校の低学年の頃、夏休み明けの2学期はじめに、クラスで「クロンボ大会」が開催されたのを覚えています。

もちろんぼくなんて優勝なんて出来ませんでしたが、優勝者にもさすがに学校から優勝賞品は出なかったように記憶しています。

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やっぱり優勝賞品があったのは、近所の商店街での「クロンボ大会」や、子供会の「クロンボ大会」と、相場は決まっていたものでした。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(493)」への6件のフィードバック

  1. 日焼け自慢。今では考えられないですね。温暖化が進んだ今の日本。

  2. 私も毎年 だっこちゃん人形みたいに真っ黒に日焼けしていました

    プールでの日焼け 週末は長良川で遊び そして毎日 校庭や公園での外遊びが多かったですからね (。^。^。)

    ★今年も郡上八幡の徹夜踊りが始まっていますね。
    ♪︎♪︎♪︎ 八幡様のお百度 ♪︎♪︎♪︎
    『次の夏には二人 相の下駄鳴らし踊れますか』 
    【相目どり】のように なんて ステキ
    しゃれおつ ですね♡♡♡

    1. 「シャレオツ」とのご評価!
      さぞや拙歌「八幡様のお百度」も、本望な事と存じまするぅ!

  3. 「クロンボ大会」なるものは なかったけど 夏休みになる度にしっかり日焼けしてましたよ。
    小学生の頃はプールや海 中学生になるとテニス部での練習や試合で真っ黒(笑)
    日焼けしないように意識し始めたのはいつ頃だったかなぁ?
    今の時代は 幼稚園や保育園でも なるべく日焼けしないように帽子なども工夫されてるし 小学生は日傘対策も。
    昔と今では 日光の強さだけに限らず 何もかもが 強すぎるし速いし容赦無い…って ふっと思ってしまいました。

    1. 日焼けの黒さは、子どもたちの勲章そのモノでしたものねぇ。
      しかしまぁ、殺人的な暑さですから、どうかご自愛ください。

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