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飛騨びと言の葉綴り~古川町・谷口充希子さん – 飛騨市公式ウェブサイト
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小学生の頃は、ぼくの中で夏休みの音ってぇのがあったものです。
牛乳配達のオジサンが漕ぐ頑丈な自転車の、ブレーキが軋み音を発し、ガチンゴチンと牛乳瓶が触れ合う音、そして自転車のスタンドが立てられる音。

そして玄関へ向かうオジサンの足音がして、続いて木製の牛乳箱の蓋が開く音、そして牛乳瓶がコトンと入れられる音。

しばらくすると同じように、頑丈な自転車のブレーキが軋む音がして、玄関の新聞受けにこれまたコトンと新聞が入れられる音。
そしてアブラゼミの喧しい鳴き声!

これらがぼくに夏休みの朝を告げたものでした。
って、アブラゼミの鳴き声はともかく、牛乳配達も新聞配達も、何も夏休みだけの物じゃないんですけどねぇ。
恐らく振り返って考えてみると、学校へ登校しなきゃ行けない日も、同じように牛乳配達や新聞配達の音を聴いていたはずなのに、夏休みの音としか認識していなかったのは、「今日も夏休みだぁ!」と言う開放感のある朝と、「↓今日も学校かぁ・・・↓」と言う、閉塞感の漂う朝との違いではなかったかと思えます。
やっぱり子どもの頃の夏休みってぇのは、さりとて何処かへ連れて行ってもらえるわけでもなくったって、朝が来るのが待ち遠しくって待ち遠しくって!
でもお盆も過ぎ、夏休みも残り一桁となると、手を付けていなかった宿題の事が頭を離れず、沈鬱な想いに覆われた夏休みの第4コーナーでした。
今じゃあ牛乳配達も、新聞配達の音も、すっかり聞こえなくなってしまいました。
あの音はまさに、ぼくにとっての忘れ得ぬ、昭和のざっばな環境音だったって事に違いありません。
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