「昭和Nostalgia」(462)

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飛騨びと言の葉綴り~古川町・谷口充希子さん – 飛騨市公式ウェブサイト


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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こんなお洒落なフィンガーチョコに、子どもの頃のぼくなんて、憧れたものでしたねぇ。

銀紙にくるまれた、それこそ貴婦人の華奢な、人差し指くらいの大きさのビスケットが、チョコレートでコーティングされたモノ!

自分のその日のお小遣いであった、10円じゃあとても買えなかったと思いますから、きっとお母ちゃんの遣いで、ご近所まで回覧板でも持って行き、そのお駄賃として頂いたような気がいたします。

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恐らくそれがぼくにとって、フィンガーチョコとの初めての出逢いであったんでしょう。

奇麗な銀紙にくるまれた、お駄賃として頂いたモノが、フィンガーチョコであるとは露知らず、後で家に帰ってから食べようとでも思い、半ズボンのポケットに仕舞い込んだのが運の尽き!

そのまま原っぱへ向かい、腕白共に混ざって、日が傾くまで白球を追い駆け、ポケットに入れた大切なフィンガーチョコの事などすっかり忘れ、駆けずり回っちゃったんでしょう。

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家に帰って気が付いて、ポケットから頂き物のフィンガーチョコを取り出して見てビックリ!

銀紙の包装紙は所々破れ、フィンガーチョコも真っ二つに折れ、コーティングされていたチョコレートが溶け出して、もうネッチョネチョ!

それでも悔しくって、破れた銀紙にネッチョリと付着したチョコを舐め、真っ二つに折れてしまった中身のビスケットを、夢中で頬張ったものです。

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はて、そのフィンガーチョコとやらは、いつの世から存在していたのか気になって調べてみると、森永から大正6(1917)年に発売されたとの事。

そして戦時中は物資の統制とかもあり、一時発売が中止されていたようですが、戦後の昭和28(1953)年にやっと再び発売が始まったんだそうです。

そう言えば、フィンガーチョコの銀紙を集め、それを丸めてピンポン玉くらいの、銀色のボールを作ったような?

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って、それはぼくではなく、近所の誰かが作ったんだったか?

そんなどーでもいいような記憶は、すっかり闇の中に溶け出してしまっているようです!

まぁ、そんな事いちいち覚えてたって、それが何か世のため人のためになるわけでも無いかぁ!


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

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