「昭和Nostalgia」(448)

https://youtu.be/3CeTEMdXC7I

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飛騨びと言の葉綴り~古川町・谷口充希子さん – 飛騨市公式ウェブサイト


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

こんな不思議なオモチャを覚えて見えませんか?

その名も「地球ゴマ」!

参考

何と名古屋市千種区の会社で誕生した精密なオモチャで、昭和の半ばに大ヒットを飛ばし、世界中に伝播されていったとか!

当時の子どものオモチャとしてはちょっとお高かったからか、もちろんわが家にゃあありませんでした。

参考

しかし近所の腕白坊主の中には、子どもらの垂涎の的だった「地球ゴマ」を買い与えられ、自慢げに指の先で回したり、タコ糸を張って綱渡りさせたりして、腕白坊主共を釘付けにしていたものでした。

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ぼくも1~2度、地球ゴマを貸してもらって、指先で回そうと試みたものの、そんなに簡単に出来なかったような記憶があります。

そうこうして居る内に、各地の夏祭りの夜店などでも、地球ゴマそっくりな、宇宙ゴマ、太陽ゴマ、衛星ゴマ、サーカスゴマといった模造品が出回り出し、あんなに腕白坊主共の憧れの的であった地球ゴマ人気も、下火になって行ったものでした。

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さて、この地球ゴマ。

千種区豊年町にあった、タイガー商会で開発製造されたものだとか。

この会社は、大正10(1921)年の創業。

創業当初に発売された「地球ゴマ」は、昭和2(1927)年にアメリカへも渡り、やがて東南アジアやヨーロッパへも輸出されて行ったとか。

戦後GHQの統治下では、駐屯地購買部での販売や輸出が許可され、世界的にその名が知られる事となっていったようです。

国内では、昭和30~40年代に一世を風靡したものの、職人不足と高齢化から2015年4月に生産が終了したとか。

それにしても65年にも渡って、生産販売が続いていたわけですから、実に見事なロングセラー商品であったかと言う事ですねぇ。

子どもたちの夢を載せ、戦前戦後を駆け抜けた、知られざる名古屋の精密機器のオモチャだったんでしょうねぇ。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

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