「昭和Nostalgia」(443)

https://youtu.be/3CeTEMdXC7I

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飛騨びと言の葉綴り~古川町・谷口充希子さん – 飛騨市公式ウェブサイト


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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まるで炒り立てのコーヒービーンズかと見紛うような、「麦チョコ」なるお菓子を覚えて見えませんか?

当時子どもたちに人気だったポン菓子の技術を用い、様々な素材にチョコレートをコーティングしたところ、その香ばしさや歯ざわりなど、麦が最も適していることが分かり、昭和36(1961)年に「ムーギ」と銘打った商品「麦チョコ」が発売されたとありました。

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当初は駄菓子屋の量り売りが中心だったようですが、間もなく小袋入りで販売されるようになったようで、子どものお小遣いで気軽に買えるよう、価格は30円に設定されたそうです。そしてその価格は、平成の世まで守られ続けたとか。

とは言え、1日10円のお小遣いしかもらえなかったぼくは、そうそうおいそれとは30円もする「麦チョコ」をしょっちゅう買い求めることなど無理!

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よっぽどお母ちゃんの機嫌がすこぶる良さそうな日に、お母ちゃんに何だかんだとゴマを擂り、小遣い3日分もした「麦チヨコ」を手に入れたか!

或いは1日10円の小遣いを3日も、一銭も使うことなく貯め込んだか?

いやいや、それはあるまい!

なんせ宵越しの金は持たぬとばかりに、その日のうちに潔く使い果たしてしまっていたぼくが、3日も小遣いを貯め込んで「麦チョコ」を買うなんて、とてもとても想像がつきません!

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或いは、子どもの頃にはそうそう口に出来なかったものの、ある程度大人になってから、先輩方に連れて行かれたスナックで、口取りのチャームとしてでも、カクテルグラスに入ったお洒落な「麦チョコ」を懐かしみながら、ウイスキーのお供に一粒一粒味わったのかも知れません。

まぁそんなこと、今さらどーでもいいような事ばかりですがぁ!


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

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