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飛騨びと言の葉綴り~古川町・谷口充希子さん – 飛騨市公式ウェブサイト
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微かな記憶でしかありませんが、昭和半ばの子どもの頃、真夏はともかく、春・秋・冬の3シーズンは、内職に精を出すお母ちゃんの傍らで、火鉢の練炭が点されていたものです。
火鉢にはアルマイトの薬缶が掛けられ、出涸らしの茶葉が広がった急須に、お母ちゃんは湯を注ぎ入れ、欠けた湯呑を啜っておりました。
ぼくは学校から帰って玄関の引き戸を開けると、真っ先に茶の間に蟠る匂いを吸い込み、その日のおやつに想いを巡らせたものでした。

「ああっ、今日はかき餅だぁ」とか、「おおっ、今日は干し芋だぁ」ってな調子で!

こうしたおやつは、毎日与えられる駄菓子屋分の10円とは別口であり、おやつで空腹を少し補ってから、10円玉を握り締め駄菓子屋へと駆け出したものでした。
そうやって思い出してみると、今でこそ「芋栗南京」が苦手ではあるものの、子どもの頃はそんな贅沢な好き嫌いなど言えようもなく、干し芋やら蒸し芋も渋々だったにせよ、ちゃんと食べていたのかも知れません。
まぁ、昭和半ばの時代は、今のように豊かじゃありませんでしたから、それでも十二分に幸せだったに違いありません。
あっ、待てよ!
じゃあ、不幸せってぇのは?
もしかしたら「不幸せ」には、そもそも決まった形など無いに違いありません!
何かにつけ周りと見比べ、周りを羨んだり妬んだり。
そんな心と言う色眼鏡で世間を眺めること自体が、不幸せの原型だったのかも知れませんですよねぇ。
お母ちゃんがおやつとして用意してくれていた、干し芋やら蒸し芋を「美味しい!美味しい!」と心からそう言えた、そんな素直だった子どもの頃が今となっては懐かしい限りです!
って、いや待て!
それは干し芋や蒸し芋が美味しかったと言うよりも、早くそれを食べ終え、お母ちゃんのがま口から10円玉のお小遣いをせしめたい一心だったと言う事かぁ!
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