「昭和Nostalgia」(435)

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今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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これをご覧になって、思わず懐かしい!と、心の中でつぶやかれた方は、これまた押しも押されもせぬ、昭和の腕白坊主だったに違いありません!

どこででも手に入った、使用済みの割り箸と、肉や野菜が包んであった新聞紙を止めた輪ゴムさえあれば、立派な割り箸ゴム鉄砲が完成!

って言ったって、手先の不器用なぼくには、こんな立派な割り箸鉄砲など出来るわけもありません。

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まぁせいぜいぼくが、仲間たちの作品を真似て作ったとしたら、この程度がやっとこさ!

果たしてここまで自力で出来たであろうかと、今さらながら己の不甲斐なさを痛感するばかりです。

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もしかしたら仲間たちのゴム弾を被弾しながら、こんな奥の手の指鉄砲で応戦していたやも知れませんねぇ。

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だから日曜日を待ち侘びて、ぼくとは裏腹に手先の器用だったお父ちゃんにせがんで、仲間に負けぬほど立派な、割り箸ゴム鉄砲を拵えてもらい、広場へと駆け出し自慢のゴム鉄砲を連射して、憂さを晴らしたような気がいたします。

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TVゲームもゲーセンも無かった昭和の半ば。

そこら辺に転がっていた廃材を利用しては、自らの遊び道具を工面していたものでしたですねぇ。

果たしてお父ちゃんは、日曜日を待ち構え、割り箸ゴム鉄砲作りをせがんだぼくを、どう思っていた事でしょう?

せっかくの日曜日なのに・・・と心の中で思っていたのやら?

はたまたお父ちゃんを頼って縋ったぼくを、お父ちゃんは心ならずとも、嬉しく思ってくれたことやら?

ぼくにして見たら、お父ちゃんお手製の、割り箸ゴム鉄砲は、仲間たちの誰よりも立派な、自慢の割り箸ゴム鉄砲だったはずです!


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(435)」への4件のフィードバック

  1. 次兄が器用だったので、家にありました!自分では作れません。

  2. クラスの男の子が 学校に割り箸ゴム鉄砲を持って来て みんなに見せてたのを覚えてます。
    一瞬 『 何それ?』って感じだったけど 実際に動かしてるのを見て『凄〜い!』って興味津々。じっくり見たけど どうやって作ったのか全くわからず…でしたね。
    割り箸は 図工の時間や夏休みの工作で よく使ってました。担任の先生から 「明日 持って来て下さい」って いつ言われてもいいように 割り箸に限らず お菓子の箱や空き缶や包装紙などを 常に保存してました。
    そして 作り始めて 結局 最後は お父さんの力を借りて完成。手先が器用なお父さんは 偉大でした♡

    1. どこのお父さんは、子どもたちにとって、憧れちゃうほど器用だったんでしょうねぇ!

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