
「KIRIN BEER PRESENT’S オカダミノル ほろ酔い Live 2025~秋涼の候 in C♭」のお知らせは、5月8日のブログをご覧願います!『皆様のご来場、心よりお待ち申し上げます!』
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今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

子どもの頃、お父ちゃんの日曜大工小屋の中で、こんなものを見かけ、一体全体何にどう使うものかと、不思議でなりませんでした。
ちょうど当時のわが家の小さな庭に、お父ちゃんが近所の釣り仲間のオッチャンたちの手を借りて、日曜大工で掘っ立て小屋の風呂場を造っていた頃の事。
大工仕事の途中で、「SINSEI」だったか「いこい」だったか、煙草に火を付け一服中のお父ちゃんに尋ねると、木材を真っすぐ切るための、直線を瞬時に引くもので、「墨壺(すみつぼ)と言うんだと!
蛸壺はTVか何かで見たことがあった気がしますが、「墨壺」とは?

お父ちゃんの釣り仲間のオッチャンによれば、壺の部分に墨を含ませた綿が入っていて、糸車に巻き取られている糸をぴんと張って伸ばし、糸の先についた画鋲のようなピンを木材に刺して、張り詰めた糸を弾き直線を引くものだとか。

ぼくが興味深げに墨壺を眺めていると、オッチャンがその場で、得意げな顔をして、実演してくれたものでした。

なかなかどうして、瞬時に狂いの無い直線が引けるとは、古人の智慧の結晶のような大工道具だと、子どもながら感動した記憶があります。
この墨壺、子どもの頃はもちろん知りませんでしたが、そのルーツは古代エジプトだとか、古代中国とも言われているようです。
日本の法隆寺の最も古い木材に、墨壺を使って引いたと思われる墨痕が、今なお残っているそうで、自分の目で拝見したいものでもあります。
でもこんなにも優秀な墨壺を用い、直線を描こうとしても、あれやこれやと日々の雑念ばかり抱いたまま、墨壺の糸を弾いたら、そう易々と真っすぐに線は引けないかも知れませんねぇ。

まったくもって「WINDING ROAD」なぼくの人生なんて、一度たりとも墨壺で瞬時に引くことが出来る、直線の一本道とはとても言えませんでしたですねぇ。
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直線の一本道の人生、それはそれで素晴らしいと思いますが、時代はそうではない方向に向かっているような気がします。ボクの人生もいまだに行き先不明。昨年仕事を辞めてハローワ─ク通いをして今週の金曜日からようやく次の仕事に就く予定です。
新しい旅立ちに、大いに幸あれ!
頑張り過ぎずないように、頑張りゃいいんですから!
こんにちは
今日は快晴
11日の日曜日「地区ウォーキング大会」
10000歩以上歩きましたが
自分のペースで歩けないので結構、疲れた。
皆さんもきっと歩いていると思うけど
目、耳、足腰と衰えて行くそうなので
自分自身、家族の為にも健康で・・
今日のお題と関係ない?
そうでもない「墨壺の一直線」より
「人生、山あり谷あり」が大半の方だと思う ❢
私の場合「人生イロエロ♫」
そんな意味で「山あり谷あり」だったな~~~ぁ~⤴
とぉ~~い とぉ~~い あの日のことさぁ ❢
真っすぐに生き抜ける方なんて、この世の中いらっしゃるもんなんでしょうかねぇ?
いいじゃない!
回り道だろうが、寄り道だろうが!
自分で右左を選んで生きて来た証なんだもの!
以前 テレビでお城の修復作業の様子を見た事があるけど その技法も当時のままで 全てが伝統なんだなぁ〜と 物凄く感動しました。
いつもブログを読みながら その物は 誰が発明? いつ頃から? など と考える事があるけど やっぱり全てには始まりがあるわけで 木や石や水が何かに使えるって気付いた人や それを形にしようと考えた人… きっと記録すら残ってないんだろうなぁ〜。
凄いなぁ〜とかロマンだなぁ〜なんて言葉で片付けてはいけないんでしょうけど 想像するだけでワクワクしちゃいますね。
古人は古人ならではの、鋭い観察力と想像力で、現代を上回るような技術を手にしていたんじゃないのかなぁ?