「昭和Nostalgia」(389)

※遅まきながら、ぼくもフェイスブックとやらを始めました!まだまだ充実しておりませんが、ぜひ一度お越しください!Facebook


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

GW前半が終了しましたねぇ!って、人も羨む11連休って方もおいでなんでしょうねぇ。

しかしこれだけ紫外線が降り注いでくると、ぼくなんて昭和半ば生まれの者にゃあ、何てったってこんな日焼け用の「サンオイル」でしたですねぇ!

写真は参考

海でも川でも、サンオイルを全身に塗りたくって、お日様の陽を体中で受け止めていたものです。

写真は参考

あのサンオイルの匂い、今でも鮮明に覚えているくらいです。

そして日焼けオイルもサンオイルから、やがて大人の階段を登りつつ、コパトーンへと変っていったものでした。

写真は参考

後半のGW期間中に、潮干狩りや海釣りなどレジャーに向われる方も多いことでしょう!

写真は参考

恐らくぼくのような昭和半ば人間とは真逆な、日焼け止めクリームをしっかりすり込まれるんでしょうねぇ。


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(389)」への8件のフィードバック

  1. う─む。この分野には全く関係無いですね~!だったらコメントするなってか?     オカダさんのライブが楽しみです。ヤマももさんと一緒に前座が出来るか?

    1. そんなこたぁ~、なんだっていいんです!
      テーマなんてあってないようなモノ!
      その時の心の向くままコメントいただければ、それが何よりボケ防止!

  2. 日焼けと言えば
    ズゥ~ッとズぅ~ッと若い頃
    岐阜の問屋街も、お客さんで溢れていた頃
    会社の慰安旅行でグァム島へ
    先輩が
    「オイ 日本は冬だから、
     俺らは真っ黒に日焼けして帰ろうけっ ❢」
    その言葉に騙されて・・
    サンオイルをしこたま塗って
    短時間で真っ黒、イヤイヤ真っ赤か ❢
    先輩も私も夜寝る時に全身がヒリヒリ♫
    日本へ帰って、鼻はやけど状態でブヨブヨ
    日焼けの後 全身の皮がめくれて
    そりゃぁ~酷いもんでした。
    でもねぇ ❢
    昔から言うでしょう。
    「一皮めくれたエエ男」って♬

    1. そんな経験はみんなおありでしようねぇ。
      ぼくも日焼けしすぎて、ベッドで横になっても衣擦れで肌がヒリヒリ!
      眠れなかったものでした。

  3. 小さな子にも日焼け止めクリームを塗ってあげているママを見て、あー!!私 無防備だわぁ(>ω<)
    日焼け止めをする習慣が無い(・・;)

    1. やっぱり!
      昭和半ばの日焼けなんて何のその、クロンボ退会を生き抜いたようなツワモノどもにゃあ、日焼け止めクリーム自体の存在に、いつまで経っても慣れないんでしょうねぇ。

  4. 昔は 日焼け止めという言葉も知らず 勿論 母から聞いた事もなくて 中学生の頃は 真っ黒になりながら テニスボールを追いかけてました。でも いつからか あまり日に焼けないように…と言われ始め 日焼け止め商品のCMも多くなり。なんなら 家の中に居る時でも…と仰る美容家の方もいたりして。
    今 この年齢になって思うのは もっと早く日焼け予防をしっかりすればよかったなぁ〜と(笑)。 でも 遅過ぎる事はないはずなので この夏もしっかり予防して これ以上シミを増やさないようにせねば!

    1. どなたかが、年齢とともに現れるシミは、バナナの皮に出現する茶色黒い「星」と同じで、食べ頃を示してるんだよと仰ってました!
      じゃあぼくも立派な食べ頃なのかぁ?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です