「昭和Nostalgia」(386)

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昭和半ばのご馳走は、こんな「壱銭洋食」なんぞと呼ばれ持て囃された、お好み焼きでもございました。

って、ぼくが「壱銭洋食」と言う言葉を知ったのは、岐阜市柳瀬のアーケード内にあるお店の看板を目にした時でした。

確か「一銭洋食◎ュン」とか言った屋号のお店で、いつか取材に伺いたいと思いつつ、そんな連載も終わってしまい、お訪ねする機会を逸してしまったものです。

それにしても「壱銭洋食」とは、実に巧みなネーミングですよねぇ。

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まぁ、昭和半ばの時代までは、ソースが掛かってさえいたら、何でもかでも洋食と呼んでいた気がしますものねぇ。

コロッケだって目玉焼きにしろ、焼き飯だって、ソースさえ掛かっていりゃあ、洋食だと思い込んでいたくらいですから!

参考

そう言えば子供の頃、母方の明治生まれだったお婆ちゃんから、壱銭硬貨や壱銭紙幣やらを貰ったことがありましたねぇ。

参考

でも、あの古銭はいったい何処へ行っちまったのやら?


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(386)」への4件のフィードバック

  1. 小銭、貯めていましたね─!今も捨てられません。余談ですが、実家の母が寝室に1円玉を大量に持っていました。兄が数えたら5000円くらい。相談して、少しずつ使っていこうかということになりました。

    1. 小銭を両替するのも、なかなか大変な世の中となっちゃいましたものねぇ。
      少しずつ、その都度使って行かなくっちゃ・・・それが一番ですねぇ。

  2. 子供の頃、行きつけの駄菓子屋さん
    夏は、プールで泳いだ後は「かき氷」
    冬は、寒さに震え「お好み焼き」
    知らぬ間に集まるハナ垂れ軍団
    憩いの店「清水」・・・
    あ~~~ぁ⤴懐かしや ❢
    当時、江戸っ子だった私は
    宵越しのお金を持たないので
    小銭が入ると軍団の奴らに
    おもってやってた ❢
    だから、懐は当時から火の車っ・・

    1. そう言えば、「奢ってやる」とは言わず、「おもってやるわ~っ」なぁ~んて、ぼくらも言っておりましたですねぇ。

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