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今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

昭和半ばのご馳走は、こんな「壱銭洋食」なんぞと呼ばれ持て囃された、お好み焼きでもございました。
って、ぼくが「壱銭洋食」と言う言葉を知ったのは、岐阜市柳瀬のアーケード内にあるお店の看板を目にした時でした。
確か「一銭洋食◎ュン」とか言った屋号のお店で、いつか取材に伺いたいと思いつつ、そんな連載も終わってしまい、お訪ねする機会を逸してしまったものです。
それにしても「壱銭洋食」とは、実に巧みなネーミングですよねぇ。

まぁ、昭和半ばの時代までは、ソースが掛かってさえいたら、何でもかでも洋食と呼んでいた気がしますものねぇ。
コロッケだって目玉焼きにしろ、焼き飯だって、ソースさえ掛かっていりゃあ、洋食だと思い込んでいたくらいですから!

そう言えば子供の頃、母方の明治生まれだったお婆ちゃんから、壱銭硬貨や壱銭紙幣やらを貰ったことがありましたねぇ。

でも、あの古銭はいったい何処へ行っちまったのやら?
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小銭、貯めていましたね─!今も捨てられません。余談ですが、実家の母が寝室に1円玉を大量に持っていました。兄が数えたら5000円くらい。相談して、少しずつ使っていこうかということになりました。
小銭を両替するのも、なかなか大変な世の中となっちゃいましたものねぇ。
少しずつ、その都度使って行かなくっちゃ・・・それが一番ですねぇ。
子供の頃、行きつけの駄菓子屋さん
夏は、プールで泳いだ後は「かき氷」
冬は、寒さに震え「お好み焼き」
知らぬ間に集まるハナ垂れ軍団
憩いの店「清水」・・・
あ~~~ぁ⤴懐かしや ❢
当時、江戸っ子だった私は
宵越しのお金を持たないので
小銭が入ると軍団の奴らに
おもってやってた ❢
だから、懐は当時から火の車っ・・
そう言えば、「奢ってやる」とは言わず、「おもってやるわ~っ」なぁ~んて、ぼくらも言っておりましたですねぇ。