「昭和Nostalgia」(382)

※遅まきながら、ぼくもフェイスブックとやらを始めました!まだまだ充実しておりませんが、ぜひ一度お越しください!Facebook


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

昭和半ばの腕白共は、そりゃあもうジッとなどしている子の方が稀で、みんなやんちゃを競い合ったものでした。

ご多分に漏れずぼくもその口で、継ぎ接ぎだらけの半ズボンに、黄ばんだランニングシャツのトレードマークで、町内を駆けずり回ったものでした。

そんなやんちゃばかりしていたからか、下着のパンツのゴムが伸びてしまって、半ズボンの内側でパンツがずり落ち、弛んでしまって股の辺りに固まっていたものでした。

そりゃあもう、何とも表現できない気持ち悪さと言ったら、ありゃしません!

そんな時は、お母ちゃんがパンツのゴム替え用の七つ道具を取り出し、チョチョイのチョイで、真っ新なパンツのゴムを通してくれましたねぇ。

中学に入ると学生服になりましたが、中学の入学時に3年間使えるようにと買ってもらった、3年後の成長時を見越した大きなサイズの学生服の上着とズボン。

中学入学時には、学生服の袖の長さも胴回りも、ズボンのウエストや裾の丈も内側に折って縫い付けられていたものです。

ところがお母ちゃんが見越した3年間の成長度合いよりも、スクスクと成長しすぎて、3年生の頃には学生服の上着もズボンもパンパカパン!

昼休みにふざけて馬飛びなんかやろうものなら、お尻の縫い目がピシピシッと音を立てて破れちゃうこともありました。

写真は参考

その日は、破れたお尻のズボンを、女子に見られるわけにぁいかないって、学生鞄をお尻に押し当てて下校したこともありましたですねぇ。

まぁ、ちったぁ色気づいた証しだったんでしょうねぇ。

でも今じゃあ、お尻がはちけて破れた学生ズボンを履いた学生なんて、すっかり見かけなくなっちまいましたものねぇ。


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(382)」への8件のフィードバック

  1. 小津安二郎の「お早う」を観ていたら、押売りが登場。このゴムを出して粘るシ─ンがありました!ウチに押売りが来た記憶は無いけど、先日もコメントした如く、物売りはしょっちゅう来てましたねぇ~。

    1. ぼくも子どもの頃、玄関先に居座った物売りさんに、半ばげんなりしながらお母ちゃんが相手していた事を思い出します。
      ぼくは物売りのオッチャンが早く帰ってくれないかなぁってそればかり!
      だってお母ちゃんがオッチャンから解放されない限り、ぼくのオヤツの用意もお預けだったんですから!

  2. 最近、針仕事をした記憶が遥かむかしで
    今じゃボタンも、千切れる事無く、
    ましてズボンの裾がほつれる事無く
    昔に比べて縫製も自動化になって技術が発展したのかも?
    この歳になると針に糸を通すのが難儀・・
    若い人に云いたい、身体は勿論 ❢
    髪の毛無くても生きていけるけどさぁ⤴
    目と歯はホント大事にして欲しい ❢
    だって現に、私なんか丸刈り頭でも
    ちゃんと生活してるからねぇ ❢

    1. 確かに針穴に糸を通すのは、もう至難の業かも知れません。
      それこそこれだけ科学万能で、様々な便利グッズが世に出ているんですから、そのうち100均でもワンタッチ針穴糸通しなんてぇのが、登場するかもしれませんねぇ?
      って、もう既に並んでいたり?

  3. 今でも 写真のようなゴム 持ってますよ。幅の広い物から細い物まで。まだ使う時も…。
    両親や子供達のズボンも幾度となくゴムの入れ替えをしたものです。
    昔は ゴムを通す時 ヘアピンや安全ピンを使って ゴムが入り口に戻っちゃわないように ゆっくり丁寧に進めてたけど 今では ゴム通しなる便利な物があるので あっという間に完成しちゃいます。
    考えた人 天才だわ〜( ◠‿◠ )

    1. そう言えば家のお母ちゃんも、ヘアピンにパンツのゴムを挟んで、ゴム通しをしてくれてましたねぇ!

  4. 一筆ーーふと、ね。一族・家族を清算して屋敷を一人で解体 田地畑を売り払って、15年ほど前に石垣島に単身転居しています。
    1300坪くらいの小さな森・バナナ畑を持っていますが、5年程前に梯子から堕ちて(割とよくある老人の死因)その管理がしんどくなった。時には戻るのでいずれ伺います。

    1. 人にはそれぞれの人生ってぇのがあるんでしょうねぇ。
      まぁ、好むと好まざるとに関わらず、目の前の現と向き合うしか、どうにもならないんでしょうねぇ。
      でも足元に転がっているような、小さなことに喜びを見出だせれば、それはそれなりに小さな生きがいになるものかもしれませんですよねぇ。
      コメントありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です