「昭和Nostalgia」(380)

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写真は参考

子どもの頃のわが家の居間兼寝室、それでもってぼくの勉強机も置かれ、卓袱台を広げて食卓にも早変わりした、そんな多機能な6畳間に、こんな座椅子が置かれていたものです。

確かお母ちゃんお手製の、座椅子カバーが被せられておりましたですねぇ。

しかも背もたれの角度が、手動で変えられ、夕餉のお伴にキリンラガーを気持ちよさそうに飲んだお父ちゃんが、ハイライトで一服した後、大きな鼾を轟かせながら居眠りを決め込んでいたものです。

ぼくもお父ちゃんが会社から帰って来るまでの間に、何度か座椅子を拝借したものですが、なかなかどうしてお父ちゃんのように、直ぐに居眠りとはいかなかったものです。

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一方のお母ちゃんは、お父ちゃんのように呑気に居眠りを決め込む暇などあろうはずもなく、絶えず台所の後片付けやら、洗濯物を畳んだりと、立ったり座ったり右を向いたり左を向いたり。

そんなお母ちゃんは、いつ頃からだったか、こんなラタンの回転式の座椅子を重宝していたようでした。

もうぼくなんて、和室で立ったり座ったりが難儀となってくいりまして、つくづく昔ながらの座敷生活はもう無理だ~と、いよいよ諦めムードの今日この頃でございます。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(380)」への4件のフィードバック

  1. ありました〜。角度変えられる座椅子!ウチにはクルマ無かったから誰かが売りに来たのかなぁ? 昔は、いろんな物売りの人が来ていたし。

    1. 今思うと、昭和の時代は、何とも無防備極まりなくって仕方なかったものでしたよねぇ。
      ちょっと買い物に行ったりするくらいなら、玄関に施錠もしなかったり!
      今じゃあそんなことしたら、玄関先にどんなマークを付けられちゃうことやら?
      真っ先に特殊詐欺の被害を被る事になっちゃったでしょうねぇ。

  2. 昔、住んでて借家の直ぐ前が家具屋さんで
    親が座椅子を買って来た覚えがあります。
    親が居ない時は兄貴と取り合いになっていた。
    それより、その家具屋さんの隣に住んでた。
    あの当時(昭和40年代)では「珍しい」と言っては怒られますが・・
    2歳くらい年下でハーフのメチャクチャ可愛い女の子が居て
    将来、絶対❢この子と結婚したいと思っていたな~~ぁ⤴
    子供心の儚~~い⤴夢やったな~~ぁ⤴・・
    因みにお母さんが外国の方でした。
    話がかなり脱線したけど、座椅子で思い出したので
    こぉ言う投稿もありかなぁ?
    と、思った次第であります。

    1. まあそんな昭和の半ばは、海外の方を一緒くたに「外人さんだ~っ!」って、珍しがったものでしたものねぇ!

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