「昭和Nostalgia」(361)

魅力詰め込んだソングと映像で飛騨PR 地元生徒とオカダミノルさんが共同制作:中日新聞Web

オカダミノルさんの飛騨市PRソングと古川中生の動画をお披露目 – 飛騨市公式ウェブサイト

※遅まきながら、ぼくもフェイスブックとやらを始めました!まだまだ充実しておりませんが、ぜひ一度お越しください!Facebook

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も飛騨びと言の葉綴り~河合町・岡崎賢一郎さん – 飛騨市公式ウェブサイト併せてご覧いただければなによりです。


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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桜が咲いて春めき出すと、今度は水が温むのを待って、浜辺で潮干狩りなんてシーズンももうそこまで来ているようですねぇ。

ぼくの知り合いの方は、この前もう既に西尾市の一色町で、ハマグリをとって来られたと仰っておられました!

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ぼくも子どもの頃に2回くらいと、娘が幼い頃に潮干狩りへ出掛けたものです。

子どもの頃は、浅瀬にしゃがみ込んで、パンツが海水に浸かってベタベタになろうが、そんなのお構いなしで、夢中でアサリを掘り返したものです。

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潮干狩りに出掛ける日の前日には、お父ちゃんが勤め先の鉄工所で、廃材となった鉄を再加工して、見よう見真似でこんな自家製熊手を、家族三人分拵えて来てくれたものでした。

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そりゃあ町内の金物屋で売っている熊手のような、洗練されたものではありませんでしたが、お父ちゃんお手製の熊手はとても頑丈で温もりが感じられたものです。

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アサリがブリキのバケツ一杯になるまでもう夢中で!

きっとDANのどこかに刻まれていたであろう、狩りに心ときめく古代人の血の滾りを感じながら!

参考

何千年も前の貝塚があちらこちらにあるように、潮干狩りは連綿と受け継がれて来た、春の旬を堪能する、最もお手軽な狩りの一つだったんでしょうねぇ。

でももうこの歳になったら無理!

だって潮干狩りの翌日には、鍼や灸に整体や、整形外科通い間違いなしでしょうから!

いやはや、トホホ・・・。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(361)」への4件のフィードバック

  1. 子どもの頃に家族で潮干狩りに行きました。ほとんど記憶に無いのですが、写真が残っています。それから、小学校から一泊で行った海浜学校。岐阜県は海が無いので、高校の修学旅行でも、萩まで行って、砂浜で網を引いた記憶があります!

    1. 萩まで行って、砂浜で綱引きとは・・・。
      なかなかちっとやそっとでは味わえない、特別なご旅行となりましたですねぇ。

  2. 小さい頃 1度だけ体験した事があります。貝を見つける…というより 掘ったら何か出てくる?というワクワクさで 妹と夢中になって掘ってました( ◠‿◠ )
    そう言えば 昔 母がよく アサリのお味噌汁や酒蒸しを作ってくれました。あの味…懐かしいです。

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