「昭和Nostalgia」(350)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も飛騨びと言の葉綴り~河合町・岡崎賢一郎さん – 飛騨市公式ウェブサイト併せてご覧いただければなによりです。


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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子どもの頃の事。いかにもお金持ちってな感じの、洋風なお家の友達の家に伺うと、これまた立派なソファーのあるリビングの壁に、こんな手の込んだ鳩時計なるものがございました。

ちょうど3時のおやつの時間になると、友達ん家のオバちゃんが紅茶とクッキーを出して下さり、普段の一文菓子屋のトシ君家のオバちゃん家で、なけなしの10円で買い求める駄菓子とは異なり、得も言われぬほど上品で高級なクッキーの味に酔いしれたものでした。

そうしていると壁の鳩時計がボーンボーンとなり始め、屋根の下の小窓が開き、白い鳩が顔を出すではないですか!

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こんなお洒落な鳩時計なんて、それまで見たこともありませんでしたから、お伽の国でも覗き見たように大興奮したものです。

そうして家へ帰ると、ダメもとでお母ちゃんに鳩時計が欲しいと強請っては見たものの、鼻もひっかけてなんぞもらえっこありません。

まあ、どうせそんなことだろうと幼心にも分かっていましたから、それほど落胆するには至りませんでした。

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ところが今にして思えば、六畳間の中央に卓袱台がデーンと居座るわが家の壁で、お洒落なヨーロピアン調の鳩時計がボーンボーンと鳴った方が、どうにもわが家の和風な六畳間では、不釣り合いそのものであったに違いありません。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(350)」への6件のフィードバック

  1. ワタクシが長年勤めさせて頂いた老人ホームの広間にありました!途中で建替えられてからは、床に直接置かれた背の高い振子時計に代替わりしました。ハト️時計は軽い音(声)振子時計は壮厳な響きでしたね。

    1. 鳩時計も振り子時計も、それ相応に立派な空間に置かれてこそ、なんぼのモノじゃあないでしょうかねぇ。

  2. 小学生の頃 友達の家に遊びに行くと 外観から内装まで全てが別世界。友達にも自分専用の部屋があって もちろん時計も可愛らしい物が。1階の居間には ビリヤードがあったりして。
    遊びに行くと ワァ〜凄いなぁ〜と思いながらキョロキョロしてるけど 家に帰ると平家の長屋が目の前に。妙にホッとして玄関を入ると安堵感も( ◠‿◠ )
    ちなみに我が家は 長方形でふりこ付きの昔懐かしのシンプルな時計でした。

    1. ぼくん家の柱時計も、そんな感じで当時どこのご家庭にもあったような、シンプルなものでした。
      はて、いつごろまであの柱時計は、わが家の時を刻み続けてくれたんでしょうかねぇ?

  3. 追伸 母の介護で実家に行って、ゼンマイ式の柱時計のネジを巻きます。月に1回くらいのペ─スで。母が台の上に乗れなくなってからはボクの仕事です。

    1. お母様の「明日」のネジを、そうやって高木さんが巻いて差し上げるなんて、お母さまもきっと週に一度のその逢瀬を心待ちにされてるんでしょうねぇ。

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