「昭和Nostalgia」(340)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も飛騨びと言の葉綴り~河合町・岡崎賢一郎さん – 飛騨市公式ウェブサイト併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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昔の車には、こんな数珠のようなシートカバーを着けている車があったものでした。

一般車はもちろん、タクシーの運転席や後部座席でも見かけたものです。

ぼく的には、お尻や背中に数珠玉が当たり、ゴリゴリとしてあまり快適であった記憶はありませんでした。

ところが昭和の時代が終わり、平成の世となり、取材でインドを訪れた時の事。

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アンバサダーと言うタクシーで、ガイドと共にあちこちを巡ったものでした。

そのタクシーの中が全くその昔の、昭和の時代そっくり!

もう数珠玉が連なったシートカバーが、運転席やら後部座席にも辺り一面に張り巡らされ、それでなくとも凸凹道でガッタンゴットル揺れて大変なところへ持ってきて、シートカバーの数珠玉が背骨やらお尻に当たって痛いのなんのって!

でも暑い国ですから、シートと数珠玉との間に僅かな空間が生じることで、エアコンの無い車内の暑さが凌げていたようにも思います。

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一方こんな清潔感漂う、レースのシートカバーなんてぇのもございましたねぇ。

でも手入れの悪いタクシーなんかだと、レースが汚れて黒ずんだままだったり、日に焼けてレースが黄色く変色しているものもあったりして、そんなタクシーに出くわしてしまうと、ゆったりと背もたれにもたれることも出来ず、ちっとも落ち着かなかったものでした。

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中には、レザー張り風に、こんなシートカバーをする若者もおりましたねぇ。

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そう言えば、何でもござれのバブルの時代になろうものなら、こんな企業の宣伝広告がビッシリと貼り付けられたタクシーもございましたですよねぇ。

ぼくだったらこんなタクシー、後部ドアーが開いた途端、「あっ!ゴメン間違えましたぁ」とかって言って、乗車するのをきっと辞退したことでしょう!


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(340)」への4件のフィードバック

  1. クルマも時代を映す存在ですね─!こんな視点で「昭和クルマ内装史」オカダさん、図版入りで本書いて下さい。

    1. いやいやーっ、それほど車の知識があるわけじゃありませんから、ぼくなんぞに「昭和クルマ内装史」なんてぇ、大層な執筆なんて無理ですって!
      その専門分野の方々の知識に比べたら、ぼくの記憶に残っている車の内装のお話なんて、他に見当たりそうにありませんもの!

  2. 確かに車も世につれ、ですね。
    お正月のしめ飾りの自動車用も見かけなくなったし、、。
    個人的には、マイカーには何も付けない主義です。

    1. クルマの中を見ると、その方の部屋の中が想像できるって、どこかで聞いたような?
      まぁ、動く個室部屋にゃあ違いありませんものねぇ。

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