「昭和Nostalgia」(338)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も飛騨びと言の葉綴り~河合町・岡崎賢一郎さん – 飛騨市公式ウェブサイト併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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昭和半ばの頃は、いたるところでこんな木製やプラスチック製の縄暖簾を見かけたものです。

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喫茶店や食堂や中華飯店は元より、一般家庭でも部屋と部屋の間仕切りのような感じで、吊り下げられていたものでした。

とは言え、縄暖簾で向こうの部屋が見えないわけでもないんですが、どんな役割だったんでしょうかねぇ。

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縄暖簾をジャラジャラと音を立てて掻き分けたのは、「そっちの部屋に入りますよ~っ」とでも言う、チャイムのような役割だったんでしょうかねぇ。

わが家にもこんなプラスチック製の縄暖簾が吊り下がっていたものでした。

きっとご近所のお家の縄暖簾に、お母ちゃんも刺激されちゃったんでしょうかねぇ。

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ぼくなんぞは、赤提灯の灯された居酒屋の、縄暖簾を潜る瞬間が好きだったものです。

これもまた、すっかり見かけなくなっちゃった、昭和半ばの風景の一つですねぇ。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(338)」への2件のフィードバック

  1. ありましたね〜。
    我が家は 3枚目の写真のような木製の縄暖簾でした。
    ジャラジャラと音をさせたいから 潜る瞬間に手で触ってみたり 何度も往復したりして( ◠‿◠ )
    ホント 言われてみれば 暖簾の向こうの部屋が見えてるわけで…
    布の暖簾なら見えないのに(笑)
    なんでだろう♪ なんでだろう♪
    なんでだなんでだろう♪

    1. 一時的な、そんなどーでもいい流行のようなモノが、昔も今もはびこるものなんでしょうねぇ。
      それにしても、どんな意味があったのやら?

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