「昭和Nostalgia」(336)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も飛騨びと言の葉綴り~河合町・岡崎賢一郎さん – 飛騨市公式ウェブサイト併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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昨日、近くの中学校は卒業式を迎えていたようです。

校門に国旗が掲揚され、大きな字で「卒業式」と墨書されていて、ぼく自身の中学の卒業式を思い返しておりました。

卒業式の後、高校進学で離れ離れになる事もあり、仲良し四人組の男坊主で、長野県白馬村のスキー場へ生意気にも卒業旅行へと出掛けたりしたものです。

もちろん親のすねかじりでしかありませんでしたが。

白馬村の民宿に、確か3泊4日滞在した記憶があります。

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6畳1間の部屋の中央には、こんな掘り炬燵が切られていて、一番底の格子の下に豆炭が熾っていて、電気炬燵とは似て非なるホッコリとした温もりが、冷えた体にとっても優しかったものです。

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炬燵のテーブルには、薬缶一杯の番茶が出され、お茶菓子として「野沢菜」が皿一杯にテンコ盛りで出されていたものです。

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夜寝る時には、部屋の中心にある掘り炬燵の四辺に、布団を「十」の字になるように敷き入れ、足を掘り炬燵に突っ込む形で眠りに就いたものです。

しかし足癖の悪い友が、寝ぼけたまま掘り炬燵の中で靴下を脱ぎ捨ててしまい、靴下の先っちょが炬燵の格子の下へと落っこち、豆炭の炭火で焦げてしまい、その燻される様な臭いでみんな飛び起きたこともありました。

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中にはこんな天板の下に豆炭を格納する炬燵もあったようですねぇ。

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当時わが家の炬燵と言えば、こんな電気炬燵でした。

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テーブルの天板をひっくり返すと、こんな麻雀用のテーブルに早変わり!

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とは言え、家はお父ちゃんもお母ちゃんも麻雀はしませんでしたので、もっぱらトランプや人生ゲームで遊んだものでした。

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そう言えば、最後に炬燵で温まったのって、何十年も前の事だったような?

いつの日か旅先の雪国ででも、ほっこりと炬燵に入って、雪見格子から降りしきる雪を眺めつつ、漬物を当てに真宗寺燗をキュ~ッと煽って見ますかぁ!


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(336)」への4件のフィードバック

  1. 炬燵に一度 入っちゃうと なかなか出られなくなるし横着にも…
    もう あの暖かさを25年以上味わってないなぁ〜。
    何しろ 多動の息子達にとっては 邪魔な存在でしかないから(笑)
    いつの日か 小さな旅館の一室で炬燵に入り 雪見障子から雪景色を眺めながら 只々時間が過ぎていく贅沢さを味わってみたいですね( ◠‿◠ )

    1. ねっ、炬燵に入って雪見格子から、降り積もる雪をただただ眺めるなんて、もうそれだけでも十分な贅沢に違いありません!

  2. へぇ~、さすがは飛騨観光大使のオカダさん!そういえばボクの父も年中燗付け日本酒を飲んでいました。

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