「昭和Nostalgia」(319)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も飛騨びと言の葉綴り~河合町・岡崎賢一郎さん – 飛騨市公式ウェブサイト併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

昨日の続きではございませんが、こちらのTV番組はご記憶にございますか?

この番組を家のお母ちゃんが大好きで、チャンネル権の無いぼくやお父ちゃんは、有無を言わさずこの「ルーシー・ショー」を齧り付きで見て大笑いするお母ちゃんに、お付き合いせざるを得ず、この「ルーシー」と言う名は記憶の片隅に深く深く刻まれております。

1963年から1966年まで4シリーズが放送されたようです。

写真は参考

しかし昨日の「ちびっこギャング」同様、あらすじどころか、主人公のルーシーがどんな顔でどんな役を演じていたのかさえ、微塵も覚えておりません。

写真は参考

覚えているのは、「ルーシー・ショー」が放送される日は、お母ちゃんが朝から機嫌の良かった事と、その日の晩御飯はいつもよりちょっぴり気合が入っていたように記憶しています。

写真は参考

と言ったって大したこたぁございません。

ぼくの大好物だった、衣だけの天麩羅とか、卵だけの茶碗蒸しとか・・・。

写真は参考

お母ちゃんはこの番組を見ながら、いつものように腹を抱えて笑っておりました。

写真は参考

ちょっとどんな内容だったのか調べてみると、銀行の副頭取であるムーニーの秘書として、銀行でバツイチのルーシーが働き子育てをしていたとか。

ルーシーは、いつものように、事ある度にとんでもない行動をしてしまう、そんなトラブルメーカーでムーニーを度々困らせるといったドタバタ喜劇とありました。

いやはや、ルーシーの何がそんなにお母ちゃんを惹き付けたのやら?

近い内にあの世とやらで、お母ちゃんに再会できたら、真意を尋ねて見たいものです!


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(319)」への2件のフィードバック

  1. その番組を観た事がないから これは あくまでも想像だけど ルーシーの人間味溢れるような ちょっとした言動などが 面白かったんじゃないのかなぁ〜。
    私も最近 ラジオ番組で 日常生活の中での家族の面白い話を聴きながら お腹を抱えるぐらい笑いました。こんなに笑ったの久々…というぐらいに。思わず 娘に話しましたから(笑)
    オカダさんが お母さんの笑ってる姿を見れた事や それを覚えてる事って とっても素敵な思い出ですよね♡

    1. 夢ちゃんの仰るようにルーシーは、豪放磊落な明るいキャラだったんでしょうねぇ。
      そう言えば家のお母ちゃんが笑うと、口元で金歯がキラッと光っていましたねぇ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です