飛騨市の「広報ひだ」12月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。
「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)
残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。
新たなシリーズ「昭和Nostalgia」が始まりました。懐かしくって恋しい「昭和」の懐かしい商品や、当時の事象など、勝手気ままに記憶をたどりながら綴ってまいります。
まずはぼくの新曲、「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」、ぜひ今日もお聴きください!
甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!
写真は参考
小学校の高学年になると、特段の理由など無く、とにかく当時キラキラとしていたアメリカに憧れを感じたものです。
そのアメリカの象徴が、エアラインの「PAN AM」でした。
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それは多分に、当時のTVのクイズ番組等で、優勝者にハワイ旅行がプレゼントされ、その時にアシスタントのお姉さんが、こんな「PAN AM」のロゴがプリントされたエアラインバックを、うやうやしく優勝者に手渡す姿を何度も何度も目にしていたからに違いありません。
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ぼくもいつか必ず、憧れの「PAN AM」に搭乗し、キラキラと輝いていたアメリカへ渡るんだ~っと、ただただ呆然と思い描いていたものです。
しかし1986(昭和61)年2月12日、太平洋路線からパンアメリカン機が撤退。
その年の11月、ぼくは一人でアメリカのニューヨークとサンフランシスコへ渡ったのですが、ついにあの「PAN AM」に搭乗することは叶わず、「PAN AM」に取って代わった「UA」ユナイテッド・エアラインに搭乗して、ジョンFケネディー空港へと降り立ったものでした。
昭和半ばのアメリカは、いつもキラキラとしていて、文化やファッション、そしてミュージックと、腕白坊主どもを駆り立てたものでしたねぇ。
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投稿者: okadaminoru
1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。
岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。
<著書>
「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」
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ワタクシの学生時代は、パンナムバッグじゃなく、マジソン スクエア ガ─デンバッグが何故か大はやり!個人的には興味無かったけど。
マジソン スクエア ガ─デンのスポーツバッグは、ぼくが高校性になった頃、大ブームだったものです。
確かぼくもお母ちゃんに泣きついて、渋々買ってもらった記憶があります。
海外への憧れは だいぶ大人になってからだったけど 小学1年の時に放送されてた テレビドラマ『アテンションプリーズ』を毎週欠かさず観てました。
ドラマの内容も面白くて 初めて見る職業にも興味津々。何より JALの当時の制服が格好良くて 職業への憧れもあったのかも知れませんね。
あと 大人になってからは ラジオ『ジェットストリーム』の 城 達也さんの語りと声が好きでした。
想像も掻き立てられて…
頭の中での海外旅行ですね( ◠‿◠ )
ぼくも『アテンションプリーズ』見てましたぁ!
って、もうストーリーもまったく覚えちゃいませんが(汗)
『ジェットストリーム』も大人への階段の一つでしたねぇ。
城さんのゆったりとした口調の語りと、深みのある渋い声は、今でも覚えています。
ジェットストリーム!懐かしいなぁー。