「昭和Nostalgia」(276)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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昭和半ばの頃は、こんな風に晴れ着姿のまま、羽子板で優雅に遊ぶ女の子たちがおりましたねぇ。

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ぼくは羽子板で遊ぶ女の子を遠目に眺めて楽しんだものです。

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初詣の帰り道、参道の露店で射的をやらせてもらえたりすると、もうすっかり有頂天だったものです。

まぁ、めったやたらと命中などしませんでしたが、それでも何とも楽しくって仕方なかったものでした。

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ぼくは一人っ子でしたから、正月休みを持て余すと、家で一人こんな達磨落としをやったり、

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お父ちゃんと紙相撲なんかの相手をしてもらったものです。

近所の友が誘いに来てくれると、

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凧揚げをしたり、

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独楽回しなんぞもしたものです。

しかし不器用なぼくは、凧揚げも独楽回しも、とてもとても得意じゃなかったものです。

まぁ、凧揚げも独楽回しも上手く出来なくったって、ちゃんと立派に高齢者のお仲間入りが出来たんですから、まずもって良しとすべきなんでしょうねぇ。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(276)」への4件のフィードバック

  1. 中学1, 2年生の頃まで お正月になると 妹や父と羽根突きや凧揚げをして遊んでましたよ( ◠‿◠ )
    写真のような立派な羽子板じゃなくて 板に直接 可愛らしい女の子の絵が描かれてて…。今でも覚えてます。あと 毎年 父が凧を作ってくれて 時々 完成した凧にきれいな字も書いてくれたりして。
    近くの畑で霜柱を踏みながら 凧揚げをしたなぁ〜。電線のない空を見上げて 凧の行方を目で追いながら 耳では霜柱を踏む音を楽しみ 足の裏には なんとも言えない感触が。隣には 凧揚げの上手なやり方を教えてくれてる父が…。
    いかんいかん。
    あの時の光景が走馬灯のように。
    泣けてきてしまいました。
    素敵な思い出に感謝です♡

    1. お父様とのかけがえのない想い出なんですねぇ。
      でもきっとそんなお父様の記憶は、どんなに時を経ても色褪せをしないものです!

  2. 娘が小さい頃に、お正月に羽根つきをやってみました。板が小さいので、ムズカシかった覚えです。音が良かったなぁー!

    1. バドミントンのようであり、そうでもない、別の趣のあるものが羽根突きですよねぇ。
      確かに羽根の頭の錘が、羽子板に当たると「カーン」と冴えた音を立てましたねぇ。

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