「昭和Nostalgia」(256)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も日根野 壽子さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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令和の時代を生きる方にゃあ、こんな「ハッキンカイロ」なるものが、どんなものなのか分かんないんじゃないでしょうかねぇ?

でもこれだけ冷え始めると、今では使い捨ての貼るカイロが手放せません。

でも昭和半ばのあの頃は、小学校の高学年に上がった頃、こんな携帯のハッキンカイロを持たせてもらったものでした。

カイロのベンジンをこうして補給して!

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燃料補給はもっぱらお父ちゃんが担当してくれておりました。

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しかしこのハッキンカイロがわが家に登場する前は、こんな豆炭の携帯サイズのアンカだったものでした。

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これはこれで、確か練炭の火の上で豆炭を熾し、朝の登校間際にお母ちゃんがアンカに豆炭を入れてくれて、学校へ持たせてもらった記憶がありますが、果たしてこんな大きな弁当箱のようなアンカをどこに入れて、どうやって暖を取ったものやら・・・。

昭和半ばの遠い記憶は、なかなかどんなに声を張り上げて呼んで見ても、おいそれと脳裏に浮かんで来てくれそうにもありません。

皆様方もこんな豆炭、お使いになられませんでしたか?


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(256)」への4件のフィードバック

  1. 「ハッキンカイロ」
    「う〜ん 懐かしや〜」父が仕事に行く前に作ってました。懐かしいですね。

    どれくらい前だったかも 忘れてしまいましたけど ホームセンターで見つけた時は思わず立ち止まってしまいました。

    1. きっとハッキンカイロは、今でも現役なんじゃないでしょうかねぇ。
      あの暖かさは、真冬の救いでしたものねぇ。

  2. 豆炭といえば、コタツがそうでした。豆炭を幾つ入れるかで温かさを調節していましたね!
    記憶では、最大9個入りましたが、6個くらいで稼働していました。
    但し、豆炭コタツでその中に入ると一酸化炭素中毒で、、、。

    1. 昭和半ばの家は、どこもかしこも隙間だらけで、豆炭や練炭を熾していても、適度な換気がなされていたものです。
      今の家のような密閉度があると、それこそ一酸化炭素中毒も大いにありえますよねぇ!

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