「昭和Nostalgia」(255)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も日根野 壽子さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

腕白坊主共の憧れは、こんなゴム管なる飛び道具で、カラスなんぞを狙ったものでした。

とは言え一度たりと、カラスに命中するなんてぇ事はまったくありませんでしたが!

ぼくらは「ゴム管」と呼んでましたが、果たしてそれすら正式名称やら?

ぼくはこんな立派なゴム管など買ってももらえず、そこら辺の道端で拾った枯れ枝の二股をY字部分に見立て、パンツのゴムを括り付けた「なぁ~んちゃってゴム管」でしたから、そりゃあもう狙いが外れるわ外れるわ!

到底カラスになんぞ命中するはずなどありませんねぇ。

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ゴム繋がりでは、こんなゴムだけで優雅に大空を舞う、こんな凧のようなプロペラ機なんてぇ、ちょっと高価なオモチャもありました。

ぼくもお母ちゃんのご機嫌取りに躍起になって、やっとのこと買ってもらったものです。

嬉しくって公園で自慢げに飛ばしたものでした。

でもどんどんと遊び方が過激になり、プロペラを何十回と回しゴムを思いっきり巻き、勢いよく飛ばしたまではいいものの、お寺の本堂の甍に激突し、そのまま放置するしか術もなく悔しい思いをしたものです。

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一文菓子屋で売られていた、機体の先端に鉛の付いた丈夫なグライダーでも、大いに遊んだものでしたねぇ。

大空への夢は、子どもながらに憧れの象徴だったのかも知れません。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(255)」への4件のフィードバック

  1. 今回は、輪ゴムの男の子編ですね!
    ボクはプロペラ飛行機かなぁ~?駄菓子屋さんにも売っていて、何度か買って作りましたが、すぐに壊れてしまったという印象ですねぇ~。

    1. 十分に年老いたとはいえ、もう一度プロペラを回してゴムを巻いて、こんなに天気の良い日に、大空へ飛ばしたいなんて思っちゃいます。

  2. 美濃和紙で作られた飛行機 
    先日『ぐっ⚪家』で 放送されていましたよ。
    子供に帰ったように 笑顔で輪ゴムをぐるぐる ぐるぐる  
    頭の上を綺麗に円を描くように 何回も何回も回っていたので私も びっくり! 
    100年近く前に作られた飛行機も飾られていました

    美濃和紙のウェディングドレスも、素敵ですよね~ (#^.^#)

    1. 美濃和紙の強度は確かなものですから、軽くって丈夫な美濃和紙の翼なら、なかなか破れなくって丈夫に違いありませんねぇ。
      なんせ、先の大戦の終末、美濃和紙で風船爆弾が作られ、太平洋を越えアメリカの西海岸まで飛んで行ったそうですからねぇ。
      ぼくは以前、天縮一芸の取材で、美濃市蕨にお住いの、簾職人のおばあちゃまのお話を伺ったことがありました。
      そのおばあちゃまは、先の大戦の終末、徴用で風船爆弾に使う大きな美濃和紙を漉く作業に当たられたそうでした。
      そんな愚か過ぎる平気に美濃和紙は似合いません!
      平和な時代の中で、美濃和紙の温もりを感じていたいものです。

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