「昭和Nostalgia」(239)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も日根野 壽子さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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こんなブーメランで遊んだことがあるのは、やっぱり昭和半ばの腕白坊主どもだけでしょうか?

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さすがに女子はこんな遊びはしませんでしたかねぇ。

そもそもブーメランと言うと、ついついオーストラリアの先住民、アボリジニが狩猟や儀式で使用するものとして知られていて、ぼくもすっかりブーメランはアボリジニが生み出したものだとばかり思い込んでおりました。

しかし今さらながら調べてみると、アフリカやヨーロッパの岩絵や遺跡にも描かれているそうで、その歴史たるや紀元前まで遡れるのだとか。

参考資料

「く」の字の形状をした木製のブーメランは、手で握って少しだけ傾けて縦に投げると、そのまましばらく飛行してやがて手元に戻って来ると言うスグレモノ。

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しかしそれにしても、紀元前の人類がこんなブーメランのメカニズムを知り得ていたとはビックリ!

1950年代後半から1970年代前半にかけ、駄菓子屋でプラスチック製のブーメランが子ども用のオモチャとしてもてはやされたと言いますから、まさにぼくの子供の頃にドンピシャです。

それと同時に、60年代の特撮作品『怪獣王子』で、主人公の少年の武器として大型のブーメランが登場し、小学館の子供向け雑誌でも紙製ブーメランが付録になるなど、子どもたちのオモチャとなったようです。

ぼくはお父ちゃんが木を削って作ってくれた、お父ちゃんお手製のなぁ~んちゃってブーメランが自慢の一つでもありました。

でも何度投げても、一向にぼくの元へ戻って来てはくれなかったような?


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(239)」への2件のフィードバック

  1. 怪獣王子!懐かしい。あの、民族楽器使用風の賑やかなテーマー音楽がよみがえってきました~!
    実際にブーメランで遊んだかどうかは、記憶にないなあ。
    飛ばして、戻って来なくて、そのままだったのでは?{笑い}

    1. 怪獣王子のご記憶が鮮明に残ってらっしゃるんですねぇ。
      ぼくなんて・・・。
      見たことあるような、無いような???

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