「昭和Nostalgia」(219)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も日根野 壽子さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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この写真をご覧になって、男たちが何をしているのかわかりますか?

ぼくは子供の頃、運河沿いでこんな光景を何度か、バスの窓越しに眺めた記憶があります。

それと同時に、その記憶のシーンには、ボットン便所の香りまでセットになっていて、この写真を見るとバスの窓からそこはかとなく忍び込んできた、あのボットン便所の香りまで鼻先を霞めるかのようでなりません。

ぼくらは確か、「ウン〇のポンポン船」とかって、勝手に呼んでいたものです。

バキュームカーが市中を巡回し、回収した糞尿は運河に係留された「ウン〇のポンポン船」に移し替えられ、それを河口付近まで運んで当時は海洋投棄していた、そんな緩い時代だったのです。

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伊勢湾の河口付近に集まる魚の群れにとって、人間の排泄物は格好の餌となったことでしょう。

そして近海物の漁師の手にかかり、それらの魚が再び食卓へと上ったと言うわけでありましょう。

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何かにつけ、今ほど誰も目くじらも立てず、疑うこともせずそうしたものだと受け入れていたんでしょうねぇ。

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確かに令和の今ならば、環境団体から抗議の声が上がった事でしょうねぇ。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(219)」への2件のフィードバック

  1. 海のない岐阜県の市町村はどうしてたんでしょうね?愛知県に頼んで海洋投棄させてもらっていた?
    山の中に埋めていた?
    ちなみに、名古屋市の廃棄物処分場は多治見市の山の中にありますが、、、。

    1. 確かに仰る通り、何らかの手立てを講じられていたんでしょうねぇ。
      そう言えば、以前取材で、長良川のお紅の渡しを取材させていただいた時、昭和30年代までは、岐阜市の川の南側から長良川の北側の農家さんに向け、糞尿を肥料として渡し船で運んでいたそうでした。

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