「昭和Nostalgia」(218)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も日根野 壽子さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

こんな風にかかしを公園やアスファルトの上に書いて、ケンケンパをしたものですねぇ。

なんでも正式かどうかは分かりませんが、この遊びは「かかしケンパ」と呼ばれているようです。

ぼくの子供の頃は、「ケンケンパ」とだけで呼んでいた気がしますが・・・。

ところが遊んだ記憶はあるものの、どんなルールで遊んでいたものやら、さっぱり思い出せません。

参考資料

こんなルールだったんでしょうかねぇ?

公園の土の上なら、そこら辺に落っこちている木の枝でかかしを描けましたが、アスファルトには石っころを力任せに押し付け、それでかかしを描いたりしたものでした。

でも石で引いた線では、細くって見にくくって!

そんなある日、ぼくは閃いちゃったんです!

白墨の代わりになりそうなものが家にあったって!

お母ちゃんは洋裁の内職をしていて、裁縫道具箱の中に、ズボンの裾上げなどのための線を引くために使っていた、白墨を平べったくした三角形のギターのピックのような「チャコ」ってお母ちゃんが呼んでいるものを持ち出して、それでかかしを描いたのです。

写真は参考

まるで白墨のように滑らかに線が引けたものの、チャコ一枚なんてあっと言う間に無くなっちゃったものです。

写真は参考

みんなにゃあ喜ばれましたが、それがお母ちゃんの知るところとなり、二度とチャコに触らせちゃもらえませんでした。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(218)」への2件のフィードバック

  1. わたしも『ケンケンパー』って言ってましたよ   (*^ー^)ノ♪

    校庭ではチョークで、公園では落ちている石や花壇の回りのレンガの欠片で描いてました。

    洋裁のチャコは薄くて直ぐに壊れてしまいますから お母さまにとっては大切な
    商売道具 怒られると思いますよ⤵️

    ★秋を通り越し一気に冬❔❔ ⛄
    飛騨古川では 新酒のお知らせ『杉玉』が取り替えられましたね (#^.^#)
    早く味わってみたいです❤

    1. いよいよ待ち侘びた日本酒の季節がやってまいりましたねぇ!
      ぼくもキリン淡麗グリーンをまずわグビッと煽って、飛騨市神岡の大坪酒造の「原酒飛騨娘」の真宗寺燗(65℃)の超熱燗で愉しみたいものです!

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