「昭和Nostalgia」(217)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も日根野 壽子さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

こんな五右衛門風呂に入った事はありませんか?

ぼくは三重の田舎の、従兄妹のお兄ちゃんとお姉ちゃんの昔の家で入ったことがあります。

最初は釜の周りが熱くって火傷しないかなんて心配したものですが、ぜ~んぜん平気だったものです。

底には木製の踏み板があり、とってもまろやかで体全体が温まったものでした。

写真は参考

果たしてお兄ちゃんと一緒に入ったのか、或いはお姉ちゃんと一緒だったのか?

その湯加減たるや心地よくって、わが家のお風呂とも銭湯とも異なり、お兄ちゃんだったかお姉ちゃんだったかと、キャッキャキャッキャと長湯を決め込み、はしゃぎたくっていたものです。

写真は参考

すると窓の向こうから、オジちゃんの声が!

「どうや?ぬるうないか?もうちょっと焚いたろか?」と。

朝晩秋らしく少しヒンヤリし始めましたから、ついつい五右衛門風呂の温もりが恋しくなってしまいました!

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(217)」への4件のフィードバック

  1. オカダさん今晩は!お久しぶりでご無沙汰してます(^-^) 私は元気ですよ(^-^)/
    ライブの日休み取れたんだけど急に1週間前に仕事なって行けなくてなって残念です(^_^;)今度のライブは必ず行きたいです。 
    母の実家長野県飯田市下伊那郡でおじいちゃんの家のお風呂は五右衛門風呂じゃないけど薪で炊いていました。小学生の頃に夏休み冬休みはおじいちゃんの家に遊び行っていました!水は川の方から来るので夏と冬の水の温度が違うので炊くのに大変でしたよ(^_^;)
    五右衛門風呂の写真見ているとおじいちゃんおばあちゃんを思い出して懐かしいです(^-^)/オカダさん写真ありがとうございます(^-^)/

    1. また次回のLiveでお目にかかりましょうねぇ。
      そうでしたか、お母さまは伊那谷ご出身だったんですねぇ。

  2. ももかさん!お元気そうで何よりです!
    さて、五右衛門ぶろは子供の頃に父、母と入っていた記憶があります。
    この写真にあるようなタイルは張ってなくて、木の樽の湯舟に「よっこいしょ」と言いながら入っていましたよ~。
    お勝手は土間で、隅に「おくどさま」があって、年末の餅つきに活躍していました。
    おくどさまが壊れて、我が家の餅つきも無くなりました。

    1. そうですかぁ!
      土間に立派なおくどさまがあったとは、さぞや御殿のようなお屋敷だったんでしょうねぇ。
      そう言えば、五右衛門風呂のあったぼくの従兄妹の田舎の家も、昔のお勝手は土間でやっぱりおくどさまが活躍してましたねぇ。
      おくどさまの大きな羽釜で炊いたご飯は、美味しかったものですねぇ。
      とくに釜の底にこびりついたおこげを、従兄妹と奪い合うようにして取り合った記憶があります。

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