飛騨市の「広報ひだ」10月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。
「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー (city.hida.gifu.jp)
残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も日根野 壽子さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。
新たなシリーズ「昭和Nostalgia」が始まりました。懐かしくって恋しい「昭和」の懐かしい商品や、当時の事象など、勝手気ままに記憶をたどりながら綴ってまいります。
まずはぼくの新曲、「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」、ぜひ今日もお聴きください!
甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!
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子供の頃から今も、滅法ズボラなぼくではありますが、理科の実験室での様々な実験をする授業は興味津々だったものです。
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まずもって家ではお目に掛れないような実験道具が居並び!
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顕微鏡を覗き込むときなんて、結構興奮したものでした。
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何かの重さを量りで測定する時も、分銅をあれこれ選んだり、ピンセットで小さく軽い銅板のようなものを挟んで、そっと息を吞みながら秤の上皿に載せたものでしたねぇ。
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ビーカー、フラスコ、スポイト・・・。
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アルコールランプなぁ~んてぇのもございましたねぇ。
でも、骸骨の模型と、解剖された人体模型だけは、なかなか直視できずいつも目をそらしてばかりでした。
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ある日のこと。
下校時に気付いたんです。
理科の実験の時間に、実験室の席に忘れ物をしたことに!
ぼくは勇気を出して、たったひとりぽっちで、西日に染まって薄暗く静まり返った理科の実験室の引き戸を開け、骸骨の模型と解剖された人体模型から目をそらしながら、忘れ物を手にして一目散で実験室から逃げ帰ったものでした。
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投稿者: okadaminoru
1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。
岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。
<著書>
「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」
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何だか、情景がくっきり浮かぶような。夜の学校の理科室!人体模型の口がガタッと開いて、、、。
理科といえば、中学の時は 「予想・実験・結果」 の過程を大切にしていた記憶があります。
その先生は当時、新卒の男性の先生で、担任でした。女子からは何故か、嫌われてたなあ~!
年は十歳違いで、今でも時々交流しています。
へぇ~っ、担任の先生と今でも交流があるなんて、何とも素敵な事ですねぇ!