飛騨市の「広報ひだ」10月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。
「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー (city.hida.gifu.jp)
残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も日根野 壽子さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。
新たなシリーズ「昭和Nostalgia」が始まりました。懐かしくって恋しい「昭和」の懐かしい商品や、当時の事象など、勝手気ままに記憶をたどりながら綴ってまいります。
まずはぼくの新曲、「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」、ぜひ今日もお聴きください!
甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!
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これをご覧になって「懐かしい!」と感じた方は、これまた立派な昭和人に違いありません。
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JRがまだ「国鉄」と呼ばれていた頃、みどりの窓口で座席指定の切符を買おうとすると、窓口の係員が
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こんな鉄製のノートの様な「マルス端末」と言うもののページをめくって、乗車駅と降車駅にピンの様なものを差し込んで、座席指定の予約を入れると言ったものでした。
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そしてこんな切符が発券されたものです。
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そう言えば、中学校の卒業旅行で、友人4人と長野県の白馬へスキー旅行に出かけたことがありました。
そこはぼくがカブスカウトの頃、カブスカウトのスキー合宿で伺ったことのある民宿で、ぼくが民宿の手配やら、それこそ名古屋駅のみどりの窓口で、夜行列車の指定席切符を手配したものです。
そう考えると、ぼくもそこそこの「乗り鉄」だったのかも知れません!
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でも当時の白馬には、ロープリフトが1本と、ちゃんとしたリフトが1本あっただけだったものです。
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投稿者: okadaminoru
1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。
岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。
<著書>
「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」
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