「昭和Nostalgia」(200)

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「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も日根野 壽子さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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朧げな記憶をたどると、小学校に入ったばかりの頃は、授業の始業も終業を告げる合図は、用務員のオジサンが鳴らすこんなベルだった気がいたします。

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そして何年生かになってやっと、教室のスピーカーからチャイムが流れて、授業の始業や終業が告げられた気がします。

学校の校門の脇に用務員室があり、用務員のオジサンが先生方がなさらないような雑務をされていたものです。

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ぼくの小学校には用務員のオジサンが一人いらっしゃって、リヤカーに運動会用の道具などを積んで運んでおられました。

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それと飼育小屋のお世話もされ、一輪車で小動物たちの餌を運んでおられたものです。

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今の小学校にも用務員さんっていらっしゃるんでしょうかねぇ。

ぼくの記憶では、用務員のオジサンはとても優しく、下校時には大きな声で「サヨーナラー」と言って、手を振って見送ってくれたものでした。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

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