「昭和Nostalgia」(183)

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「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらの★P20裏表紙のコピー (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も山本久恵さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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子どもの頃、名古屋駅の地下街のサンロードと毎日ビルの、地下街と地下街が交差する辺りだったと記憶していますが、不二家のレストランがあって、店先でペコちゃんの人形を目にする度、心が吸い込まれてゆくような感覚に陥り、足を止めたものでした。

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とは言え、レストランで食事やら、パフェを食べさせてもらえる事なんて、めったやたらにあろうはずもなく、レストランの売店でクリームウエハースや、デリシャスパイを買ってもらえりゃ、もうそれだけで天に昇る様な気分だったものでした。

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クリームウエハースもデリシャスパイも、当時は頬っぺたが落っこちるほど美味しくってならなかったものです。

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こんな缶入りの豪華版のクリームウエハースなんてぇのもあったようですねぇ。

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デリシャスパイはバターの風味がふんだんに感じられるもので、今でも初めて食べさせてもらった時の味が忘れられません。

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一枚を一気に頬張らず、ほんの少しずつ齧って大切に味わったものでした。

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どうやらデリシャスパイにも、こんな豪華な缶入りの物があったんですねぇ。

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子どもの頃のぼくにとっちゃあ、不二家のレストランはテーマパークみたいなものだったのかも知れません。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(183)」への2件のフィードバック

  1. ありました、ありました、不二家のレストラン。サカエチカにもあったけど、知らないうちにどちらも無くなっちゃってました。残念!!

    久しぶりに、しれーっとコメントしてみました(*^^*)

    1. 超久しぶりの、しれ~っとこめんと感謝です!
      でもサカエチカにあったとは、知りませんでしたぁ!

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