飛騨市の「広報ひだ」6月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。
「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらの25710.pdf (city.hida.gifu.jp)
残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も勝田萌さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。
新たなシリーズ「昭和Nostalgia」が始まりました。懐かしくって恋しい「昭和」の懐かしい商品や、当時の事象など、勝手気ままに記憶をたどりながら綴ってまいります。
まずはぼくの新曲、「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」、ぜひ今日もお聴きください!
甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!
写真は参考
きっとあの時代は、日本国中のどこの子どもたちもみんな「シェー」ざんす!って、形振り構わずやっていたんでしょうねぇ。
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かく言うぼくも、もちろんその内の一人だったに違いありませんが!
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今冷静に思うと、何がそんなに楽しかったのやら?
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奇妙奇天烈な、赤塚先生のギャグに、子どもたちも大人もまんまと載せられ、過分に反応しちゃったんでしょうねぇ。
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でもどんなに今より貧しかったにせよ、「シェー」ざんす!って、互いに笑い飛ばして、明日を信じて生きられた、そんな素敵な時代であった気がします。
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1960年に日本国中を虜にした「シェー」ざんす!は、なんとあのビートルズが来日した折に、当時のミュージック・ライフ編集長の勧めで、あのジョンもポールも「シェー」のポーズで写真に納まったと言いますから、一大社会現象でもあったんですねぇ。
またいつの日にやら、NYのジョンが暗殺されたダコタハウスを訪ねられたら、ぼくも「シェー」のポーズを決めて、謹んで手を合わせたいと思っています。
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投稿者: okadaminoru
1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。
岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。
<著書>
「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」
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実は小学一年生の頃、
一学年上の友達に教えてもらうまでは、
全く知らなかったザンス。
どれだけ我が家は閉鎖的なんだ!
と感じた時でもありました。
まず、
その頃のテレビのチャンネル権は親父にあり、
朝から国営放送のニュース。
夕方も民放のニュース&お笑い。
なので情報なんてものは入ってこなかったわけです。
クラスでみんながやってるもんだから、
見よう見まねでなんとなくやっていたのが正直なところ。
まっ、
過去の事ですから・・・
語尾の”ザンス”
これってどちらが先?
イヤミ vs トニー谷 ( 一一)
そういやぁ、トニー谷も「ザンス」って言ってましたねぇ。
それとTVの子供向けドラマに出て来る、教育ママ的な都会のオバちゃまが、「なんとかかんとか、ザーマスわぁ」なんて言ってるシーンも目にしましたねぇ。
写真の中の子供達は 皆、実に楽しそうですよね。私も叔母と並んで 写真を撮りました。皆、いろんな「シェー」をしていました。なんだか今、「シェー」のポーズをしてみたら いろんな所が伸びて気持ちが良いです。
ぼくなんてこの歳になって「シェー」なんてやろうものなら、ヨロヨロっとしちゃうに違いありません。
娘から聞いて知りましたが、近年、「おそ松さん」で再ブレイクしたらしいですね!
「おそ松くん」とは違って、キャラクターが現代的らしいです。
そうですかぁ!
おそ松君からさんに、おとなになったんですねぇ。
!時代は巡るってぇことなんですね。
だとしたら、イヤミはお爺ちゃん以上ですかぁ!