「昭和Nostalgia」(120)

飛騨市の「広報ひだ」6月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらの25710.pdf (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も勝田萌さん(古川町)  – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

昭和半ばのトイレには、こんな樟脳のボール状のようなものが、どこにも吊り下げられていませんでしたか?

そりゃあ確かに、今の様に自動で水が流れて、便器を洗浄してくれるような、有難い時代じゃありませんでしたから、トイレと言うよりも昭和の便所には、いつも独特なアンモニア臭がモワッと蟠っていたものです。

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それを少しでも解消しようと、こんな大判なものまであったものです。

ぼくは男子ですから、女子便所の光景は存じ上げませんが、男子便所の小用便器には、こんな消臭ボールが入れられてもいました。

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男坊主どもは、自分の一物を握り締め、消臭ボール目掛けて一斉に放水したものでしたねぇ。

また、これが愉しくって!

でもちょっと手元が狂い、放水のコントロールを誤ってしまうと、便器の渕に放水された小便が当たって、自分に跳ね返って来ることもしばしば。

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それでもやめませんでしたねぇ。

それはそうと、そんな小学校低学年の時代に、仲間たちと草野球に興じていた時の事。

とは言え、貧しい昭和半ばですから、野球道具なんて、一文菓子屋の倅のトシ君が持っている、貧相なバット1本と、ブニュブニュのゴムボールが一つだけ。

ある日のこと。

仲間の一人が、特大ホームランを放ったのはいいのですが、何処をどう探してもホームランボールが見当たらず、ゲームセットかと誰もが思った時!

仲間の一人のケンちやんが、「俺ん家に、ボールの代わりになりそうなものがあったから、取って来てやるから、それで野球を続けよう」と。

待つことしばし。

ケンちゃんが意気揚々と、「あったあった、コレコレ!」と自慢げに差し出したのは、何とトイレの消臭ボールじゃないですかぁ!

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その後どうなったのかは、記憶にありませんが、こんなものをバットで打ったら、きっと粉々に砕け散ってたことでしょうねぇ。

あの独特な匂いが、今でも思い出されます。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

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