飛騨市の「広報ひだ」6月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。
「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらの25710.pdf (city.hida.gifu.jp)
残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も勝田萌さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

ぼくは今でもキュウリの匂いを嗅ぐと、小学生の頃の夏休みをついつい思い出してしまいます。
もっと厳密に言えば、三重の山奥にあった、従兄妹のお姉ちゃん家の台所に、夏の間中蟠っていた匂いとでも言いましょうか?
寝ぼけ眼のまま、朝早くに水を飲もうと台所に立ち入ると、ほんの少しヒンヤリ感じられる朝の空気に混ざって、そんな匂いを感じたものです。
ぼくにとってそれは、とっても心安らぐ夏の匂いでもありました。
しばらくするとお姉ちゃん家のみんなが起き出して来て、朝餉の支度が始まります。
すると必ず姉ちゃんのおばちゃんが、テキパキと家族みんなに朝餉の支度の役割を与えます。
お姉ちゃんは配膳係りで、ぼくは毎朝鰹節削り担当だったような?

わが家には無かった、鉋を上下反転させたような木箱の上を、鰹木を滑らせて削る代物。
これがやりたくってやりたくって、ぼくがおばちゃんに志願したことから、いつの間にかぼくの立派な、一宿一飯の朝餉の仕事となったように記憶しています。
大きな鰹木なら怖くも何ともありませんが、日に日に削られる度小さくなって行き、ちびた鉛筆のようになると、鉋の刃の上を滑らせるのが怖かったものです。
そうこうしているうちにおばちゃんの目玉焼きなんぞも出来上がり、お姉ちゃん一家の朝餉が始まったものでした。
もちろんぼくが削り上げた鰹節を振りかけ、炊き立て熱々ご飯の上でクニャクニャと身を捩る鰹節の上に、お醤油をちょいとかければたちまち「おかかごはん」の出来上がり!

ぼくのとても懐かしい、大切な夏休みの匂いと思い出です。
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鰹節削り。
避けては通れぬ道ですかね。
志願をしたわけでもないのに、
オイラの仕事となったような・・・
共働きだったからなのか、
自分のことは当然自分でみたいな環境でございました。
夏を感じる匂い?
ん~~~と無い。
感受性が乏しかったんだろうね。
なぁんにも考えずに生活してたようです。
ただ朝の台所には、
煮干しの出汁の匂いは漂ってましたかねぇ(^^;
その家庭その家庭の台所の匂いってぇのが、ちゃんとあるんでしょうねぇ。
それがなんとも落ち着く癒しの匂いでもありますもの。
我が家では 常に大袋に入った鰹節がありました。出汁をとったり あえものや冷奴に添えたり…
母が毎日のように使ってました。
鰹節にちょっとだけ お醤油を入れて おにぎりを作ってくれたっけ。
父が大好きなゴーヤ味噌(あえもの)を作る時も必ず鰹節を入れて。
来月の母の面会日に作って持って行ってみようかな⁈ ( ◠‿◠ )
そいつぁーお母様も喜ばれますって!
味覚の記憶は永遠ですから!
実家では 出汁を取る為に毎日大量のかつお節を削っていました
★削りたては めっちゃ⤴️⤴️美味しかった~★
お手伝いしながら 私はこっそりつまみ食いしてました ( ´・∀・`)
♡今年の飛騨市のきつね火祭り(9月)では『Soyaな Soyaさ 』オカダさんの生ギターで飛騨市の皆さんと 歌って踊られますか?
もしかして バスツアー?
な~んて (#^.^#)
「Sayaな Saoyaさ」のバックに、飛騨市古川中学の有志が、映像制作に乗り出していただけそうです。
8/1に古川中学で、中学生たちと話し合いをして来ます。
今年のきつね火祭りには、残念ながら間に合いそうにありませんが、飛騨市の皆さんとご一緒に、大切に育てられたらいいなぁと考えていますよーっ!