飛騨市の「広報ひだ」6月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。
「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらの25710.pdf (city.hida.gifu.jp)
残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も勝田萌さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

チャルメラの音が聞こえてきそうな、「夜泣きそば」「屋台の中華そば」!

こどもの頃のわが家の辺りにも、晩御飯が終わってそろそろ布団に入ろうかってぇ頃になると、決まってチャルメラのラッパの音がこだましたものでした。
わが家でもそれこそ盆暮れくらいなものでしたが、「夜泣きそばでも食うか!」とお父ちゃんが言い出すと、ぼくは待ってましたとばかりに丼を抱え、屋台のオッチャンを呼び止めたもの!

家族三人でたった一杯の夜泣きそば。

オッチヤンは丼にスープを入れ、麺を茹で上げ、屋台の引き出しから薬味を盛りつけ、一丁上がり!

果たして当時一杯いくらくらいだったか、まったく記憶にはありません。
ただ薬味は実にシンプルで、焼き豚の代わりに、四角いプレスハムを斜めに切った、薄っぺらな三角形のハムが添えられていたのが、妙に記憶に残っています。
それをこぼさないようにわが家に持ち帰り、お椀に小分けして、家族三人「旨い旨い」といただいたものです。
とは言え、三角形のハムはぼくに、その他のわずかばかりの薬味はお父ちゃん、お母ちゃんは麺だけだったこともよく覚えています。
そう言えば、ぼくが20歳になったころも、名古屋駅の名鉄百貨店の下、地下の中央改札へ降りる階段の踊り場の辺りに、夜になると何台もの夜泣きそばの屋台が並んでいたものです。

会社帰りのサラリーマンの方たちで、賑わっていたのを記憶しています。

今じゃあ考えられないような光景ですねぇ!
さすがにぼくは、名鉄百貨店前の夜泣きそばは、食べたことが無かったような?
忘れてしまっただけかも知れませんねぇ。
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40数年前 時々 夜遅くにチャルメラのラッパの音を聞いた記憶があります。
その音の正体がなんなのか?は テレビで見た事があったので『あっ!ラーメンだ‼︎ 』と思ったものの 既に夕食を終えてたので お腹が一杯。気にはなったけど 一度も食べることなく今に至ります。
ラーメンやおでん…
一度は 屋台で食べてみたいんですけどね。
博多とかには 屋台のお店がたくさんあるけど それとは違う気がするんですよね〜。
確かに夜泣きそばとと、博多の屋台では違っていますねぇ。
なんせ博多の中州の屋台は、酒の肴が豊富ですから、それでしこたま飲んで締めに豚骨ラーメンってな感じじゃないでしょうか?