「昭和Nostalgia」(104)

飛騨市の「広報ひだ」6月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらの25710.pdf (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も勝田萌さん(古川町)  – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

チャルメラの音が聞こえてきそうな、「夜泣きそば」「屋台の中華そば」!

写真は参考

こどもの頃のわが家の辺りにも、晩御飯が終わってそろそろ布団に入ろうかってぇ頃になると、決まってチャルメラのラッパの音がこだましたものでした。

わが家でもそれこそ盆暮れくらいなものでしたが、「夜泣きそばでも食うか!」とお父ちゃんが言い出すと、ぼくは待ってましたとばかりに丼を抱え、屋台のオッチャンを呼び止めたもの!

写真は参考

家族三人でたった一杯の夜泣きそば。

写真は参考

オッチヤンは丼にスープを入れ、麺を茹で上げ、屋台の引き出しから薬味を盛りつけ、一丁上がり!

写真は参考

果たして当時一杯いくらくらいだったか、まったく記憶にはありません。

ただ薬味は実にシンプルで、焼き豚の代わりに、四角いプレスハムを斜めに切った、薄っぺらな三角形のハムが添えられていたのが、妙に記憶に残っています。

それをこぼさないようにわが家に持ち帰り、お椀に小分けして、家族三人「旨い旨い」といただいたものです。

とは言え、三角形のハムはぼくに、その他のわずかばかりの薬味はお父ちゃん、お母ちゃんは麺だけだったこともよく覚えています。

そう言えば、ぼくが20歳になったころも、名古屋駅の名鉄百貨店の下、地下の中央改札へ降りる階段の踊り場の辺りに、夜になると何台もの夜泣きそばの屋台が並んでいたものです。

写真は参考

会社帰りのサラリーマンの方たちで、賑わっていたのを記憶しています。

写真は参考

今じゃあ考えられないような光景ですねぇ!

さすがにぼくは、名鉄百貨店前の夜泣きそばは、食べたことが無かったような?

忘れてしまっただけかも知れませんねぇ。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

【蓬莱本館】2人セット
価格:3,280円(税込、送料別) (2024/2/11時点)


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(104)」への2件のフィードバック

  1. 40数年前 時々 夜遅くにチャルメラのラッパの音を聞いた記憶があります。
    その音の正体がなんなのか?は テレビで見た事があったので『あっ!ラーメンだ‼︎ 』と思ったものの 既に夕食を終えてたので お腹が一杯。気にはなったけど 一度も食べることなく今に至ります。
    ラーメンやおでん…
    一度は 屋台で食べてみたいんですけどね。
    博多とかには 屋台のお店がたくさんあるけど それとは違う気がするんですよね〜。

    1. 確かに夜泣きそばとと、博多の屋台では違っていますねぇ。
      なんせ博多の中州の屋台は、酒の肴が豊富ですから、それでしこたま飲んで締めに豚骨ラーメンってな感じじゃないでしょうか?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です