「昭和Nostalgia」(102)

飛騨市の「広報ひだ」6月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらの25710.pdf (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も勝田萌さん(古川町)  – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

この写真を見て何をやっているか、瞬時に理解された方は、昭和半ばの立派過ぎる猛者と言ってもいいでしょう!

パチンコ玉を一つずつ入れて手打ちする、パチンコ台が居並ぶパチンコ屋さん。

写真は参考

店内に椅子など無く、誰もかれも立ったままパチンコを打っていたものでした。

ぼくには薄っすら記憶が残っています。

名古屋市南区内田橋、名鉄豊田本町駅近くの親戚が営む6畳一間のアパートでぼくは生まれました。

写真は参考

そしてその1年10か月後、伊勢湾台風で被災し、その後しばらく尾西市の親類の家で避難生活を送ったものです。

しかしその後、町の復旧にも目途が立ち、再び豊田本町のアパートへと戻り、5歳になるまでそこで暮らしておりました。

ですからアレは、ぼくが恐らく4~5歳の頃のこと。

母の弟であった龍叔父さんがまだ独身で、よくわが家に遊びにやって来ては、ぼくの子守だと称しては、あっちこっちへと連れ回ってくれたようです。

その一つがこの写真のような、豊田本町駅の近くにあったパチンコ屋。

写真は参考

当時はパチンコ玉を一つずつ入れる手打ちのパチンコ台。

写真は参考

しかも椅子など無く、みんな立ったままパチンコ台に向き合っていたものです。

もちろんぼくは退屈そうに、龍叔父さんを見上げていたと思います。

写真は参考

まさかこんな写真の中の子どもの様に、紐で繋がれてはいなかったような気がしますが!

でも昨今、毎年のように報じられる痛ましい事件!

パチンコ屋の駐車場に停めた車の中に、幼子を放置したまま親がパチンコに興じ、幼児を熱中症で死亡させると言った痛ましい事件が後を絶ちません。

それに比べたら、昭和半ばの緩~い時代の、写真の様に子どもを紐で繋いでパチンコを打つお父さんの方が、まだましかもしれません!

って、それだったら子守するのにパチンコ屋を選ばなくたってよさそうなものなのに、まぁぼくの龍叔父さんも似たり寄ったりですけどねぇ!

でもその日、龍叔父さんのパチンコは大当たり!

帰り道は紙袋一杯、ぼくのお菓子でテンコ盛り!

写真は参考

何時間ほどそんな大人の社交場でぼくは時を過ごしたのか、まったく記憶にゃありませんが、断片的にパチンコ屋さんの記憶があります。

まず店内のあっちこっちで「おお~いっ!玉が出んぞ~っ」と、客が声を上げると、上の方から店員さんが顔を出し、「はいはい、いま玉出しますよ~っ!」ってな調子!

写真は参考

まさかそんな上から店員さんが顔を出すなんて、思っても見ないためとにかくビックリ仰天!

写真は参考

パチンコ台の裏に店員さんが行き来できる通路があり、パチンコ台の裏から、詰まった玉を人海戦術で流していたようですねぇ。

ぼくも適齢期を迎え、友と共にパチンコ屋さんに入った時代は、手打ちのパチンコ台から、自動パチンコへと進化はしていたものの、やっぱりパチンコ台にトラブルが生じると、店員さんがパチンコ台の裏側を駆けまわっていたものでした。

そして、店員さんが射幸心を煽る店内アナウンスの大音量!

写真は参考

確かこんな口上だったような!

『いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、ありがとうございます。いらっしやいませ。

本日は○○会館にお越し頂きまして誠にありがとうございます。お忙しい中にも関わらず、多数様の御指名、御来店、御贔屓、御来店を頂きまして誠にありがとうございます。本日も、昨日昨晩以上の出玉を持ちましての、お客様のお出迎えとなってございますれば、お隣り、御近所、お友達、お誘いあわせいただきまして、ジャンジャンバリバリ、ジヤンジャンバリバリとお取り下さい、お出し下さい。

土手の柳は風任せ、かわいいあの子は口任せ、パチンコあなたの腕まかせとなってございます。 当店自慢の釘師によりまして、釘は甘く広く大きくの、調整となってございます。まだまだ優秀機・優秀台、優秀機・優秀台が残っておりますれば、お好きな台をお選びいただきまして、お隣、御近所、お友達にお負けになりませぬよう、出ます、出します、出させます、ジャンジャンバリバリ、ジャンジャンバリバリとお取り下さい、お出し下さいませ。 それではどちらのお客様も、最終最後のお時間が参りますまで、又、お時間、お体が許されます限り、ごゆっくりと、ごゆっくりとお遊び下さいませ。 本日もまだまだお時間ございます。御遊技、娯楽場の中より、多数様のご指名ご来店、ごひいき、ご来店を頂きまして、誠に誠にありがとうございます。』

ってなしゃがれ声の口上と、軍艦マーチが安っぽいスピーカーから、割れんばかりに流れていたのを覚えています。

今回のブログのために、昭和半ばのパチンコ屋の口上を調べていると、こんなパチンコ屋さんの開店から閉店の蛍の光までが収録された、パチンコ屋さん専用のLPレコードなんてぇのがあったことを知りました。

写真は参考

って、そんな歴史を今さら知ったところで、なんの役にも立ちませんかぁ!

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

【蓬莱本館】2人セット
価格:3,280円(税込、送料別) (2024/2/11時点)


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(102)」への2件のフィードバック

  1. ★酷暑お見舞い申し上げます★

    ご無沙汰している間に 昭和の懐かしい遊びがどんどん紹介されていてましたが
    どれもこれも 経験してきました❤
    外遊びが大好きで おはじきも校庭や公園でやってましたよ!
    年中 真っ黒でした。

    パチンコ屋さんは父親との想い出が沢山ありますが、立ったままでパチンコをする人は見た事が無いですね~ たぶん!

    昭和38年~42年頃迄 ほぼ毎日 父親を迎えに実家から歩いて3分 のパチンコ屋さんに通っていました。

    父親を待っている間 床に落ちているパチンコ玉を拾い集めていても 誰にも怒られず、顔見知りになったおじちゃん達には 交換した景品のお菓子を頂いたり、時にはお駄賃?を頂けたり 
    楽しい時間でした (#^.^#)

    最後にパチンコ屋さんに行ったのは20年程前かな~  
    大阪に行った時 ほろ酔いで入ったパチンコ屋さん
    儲かったお金で次の日 ヒールのパンプスを  これも楽しい思い出ですね
    (*^ー^)ノ♪ 

    1. 昭和の庶民の娯楽は、勝っても負けてもパチンコでしたよねぇ。
      今じゃあっと言う間に大枚が消えてしまうようですが!
      それにしてもほろ酔い気分で打ったパチンコで、パンプスをゲットとは!
      なかなか博才もおありですねぇ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です