「昭和Nostalgia」(100)

飛騨市の「広報ひだ」6月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらの25710.pdf (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も勝田萌さん(古川町)  – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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ぼくが子どもの頃は、路地裏の通りがぼくらの遊び場そのものでした。

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時には地面に思い思いに絵を描いたり!

パンツ丸出しも何のそので「股のぞき」!

彼女はいったい何を股のぞきしていたのやら?まさか天橋立でもあるまいし!

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そしてそして「缶蹴り」やら、

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ベーゴマ!

ぼかぁ、ベーゴマも普通の独楽も回すのが苦手でした。

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されにメンコ遊びにも夢中!

ぼくらは、メンコのことを「ショーヤ」と呼んでいましたねぇ。

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一方、高学年になるお姉さんたちは、こんなホッピングなんぞで飛び跳ねてもいたものです。

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路地裏はもともと交通量が少なかったため、「だるまさんが転んだ」のような、大掛かりで大胆な遊びに夢中になることもあったものです。

そう考えると返す返す、昭和半ばの路地裏通りは、子どもたちの楽園そのものだったってぇ事ですねぇ。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(100)」への4件のフィードバック

    1. そうですとも!
      遠くへ行かずとも、お金を掛けずとも、みんなが笑顔で笑い合えれば、それだけで尊い楽園となったものです。

  1. 路地裏。
    響きがいいな。
    ”路地をはいり込んだ、表通りに面していない所。”
    要は生活道路だそうです。
    が、
    あの頃どうだろうね。
    表通りが良く分からないし、
    大体がどこも変化のない田舎だし、
    車なんかそれほど走ってない時代。
    写真の様な光景ではなかったよね。
    同じような遊びはしてたけど・・・
    あの時代の子達は、
    環境や地域で色んな遊び方や過ごし方を経験して、
    それぞれの楽しい思い出を作ってきたんでしょうね。

    1. 地域によって異なっていたにせよ、当時の子どもたちは誰もかれもが、遊びの達人であり、遊びの天才だったように思えます。

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