飛騨市の「広報ひだ」6月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。
「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらの25710.pdf (city.hida.gifu.jp)
残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も勝田萌さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

ぼくが子どもの頃は、路地裏の通りがぼくらの遊び場そのものでした。

時には地面に思い思いに絵を描いたり!

パンツ丸出しも何のそので「股のぞき」!
彼女はいったい何を股のぞきしていたのやら?まさか天橋立でもあるまいし!

そしてそして「缶蹴り」やら、

ベーゴマ!
ぼかぁ、ベーゴマも普通の独楽も回すのが苦手でした。

されにメンコ遊びにも夢中!
ぼくらは、メンコのことを「ショーヤ」と呼んでいましたねぇ。

一方、高学年になるお姉さんたちは、こんなホッピングなんぞで飛び跳ねてもいたものです。

路地裏はもともと交通量が少なかったため、「だるまさんが転んだ」のような、大掛かりで大胆な遊びに夢中になることもあったものです。
そう考えると返す返す、昭和半ばの路地裏通りは、子どもたちの楽園そのものだったってぇ事ですねぇ。
このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。
遠くにまで出かけなくても すぐそばに 楽園はありましたね。
そうですとも!
遠くへ行かずとも、お金を掛けずとも、みんなが笑顔で笑い合えれば、それだけで尊い楽園となったものです。
路地裏。
響きがいいな。
”路地をはいり込んだ、表通りに面していない所。”
要は生活道路だそうです。
が、
あの頃どうだろうね。
表通りが良く分からないし、
大体がどこも変化のない田舎だし、
車なんかそれほど走ってない時代。
写真の様な光景ではなかったよね。
同じような遊びはしてたけど・・・
あの時代の子達は、
環境や地域で色んな遊び方や過ごし方を経験して、
それぞれの楽しい思い出を作ってきたんでしょうね。
地域によって異なっていたにせよ、当時の子どもたちは誰もかれもが、遊びの達人であり、遊びの天才だったように思えます。