「昭和Nostalgia」(99)

飛騨市の「広報ひだ」6月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらの25710.pdf (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も勝田萌さん(古川町)  – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

昭和半ばの女子は、なかなかどうして、勇ましいお転婆娘も多かったですよねぇ。

路地裏の道路や公園だろうが、お構え無し!

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どこにでもあるこんな輪ゴムを繋いで、1本のゴム紐にして、それがゴム飛びの道具に早変わりしたものでした。

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仲間が多ければ、ゴム紐の左右を二人でピーンと張って、仲間が少ない時は、一人が片方のゴム紐の端を持ち、もう片方は電信柱やら垣根の桟なんぞに縛り付け、何処であろうがお構いなしにゴム飛びが始まったものでしたねぇ。

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中にはこんな、アクロバティックな少女もいたりしたものでした。

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スカートが捲くれ上がり、パンツが丸見えになろうがなんのその!

ぼくら腕白坊主どもも、見ていないふりをしながら、姑息にもこっそり興味津々でスカートが捲くれ上がる瞬間を願ったものでした。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(99)」への6件のフィードバック

  1. ゴム飛びかぁ~(*^▽^*)
    これは女子の独壇場だったね。
    輪に入れなかった。
    圧が凄くて・・・(笑)
    かなりアグレッシブね飛び方してたし、
    ゴムを脚に絡めて歌いながら遊んでた。
    スカートが捲れてたかは覚えてないけど、
    あの時代は女子も外遊びしてたんだね。
    なんかさぁ華があるよね。
    男子はというと、
    ” 馬のり ”
    これはやりにやった!
    色気がないね(笑)

    1. 馬乗りもやりましたねぇ。
      でもいつの頃からか、危険すぎるとかって禁止になっちゃったんじゃなかったですかねぇ。
      ぼくらの昭和は、擦り傷の赤チンが、腕白坊主の勲章でしたものねぇ。

  2. 初めは下の参考写真のように 結んでましたけれど 誰かが 黄色い上の参考写真のように ギュッとする前に輪ゴムを入れる方法が丈夫で綺麗とゆう事で 流行りました。欠点は重さでしたけどね。

    1. 子どもながらに情報収集して、より良い遊び道具を工夫したんでしょうねぇ。

  3. 誰が考えたんでしょうね?
    ゴム飛び 大好きな遊びのひとつでした。
    いろんな飛び方があって まるで走り高跳び?っていうような飛び方もあったし ちゃんとスカートを押さえながらの飛び方もあったんですよ。
    そう言えば 小学校の放課の時間には ゴム飛びをしなかったような…
    ドッチボールばっかりしてました。男女混合で。

    1. ドッヂボールぼくもやりましたねぇ。
      みんなでワーワー言いながら!
      今だったらあんな過激な運動量のドッヂボールなんて、ものの3分でも無理かもしれません。トホホ

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